荒踊

ようこそ宮崎
                荒 踊

国指定の重要無形民俗文化財の荒踊(五ヶ瀬町)

荒踊へようこそ




天孫降臨の伝承の聖地、日向襲高千穂槵日二上(くしひのふたかみ)峯を事実上の御神体としている

三ヶ所神社。

その例祭に奉納される荒踊は五ヶ瀬町三ヶ所の坂本地区に伝承される踊りで、坂本踊ともいわれる。

16世紀末にはじまった荒躍は国指定の重要無形民俗文化財になっている。

戦国時代の装束を身にまとった60人の鷹匠や雑兵たちが槍、長刀、鉄砲、などを担いで2列縦隊になっ

て古式に踊る。




荒踊の隊列が神社の境内に入ってきた。

先頭は地元の世話役だろうか。

獅子が従っているが、この獅子はこの後に本殿の前で行われる荒踊には加わらない。

獅子の後ろには祭りの儀式に何がしかの役割があると思われる白装束の二人が続く。

そのあとは三ヶ所神社の神官が続いている。


そして、荒踊の本体はさらにその神官の後ろに続いている。



本殿に続く石段を前にして荒踊の一行は行進を止めて、なにやら儀式めいた、立っている場所での厳かな

踊りをはじめた。


いよいよ今より境内の中心へと進む石段を登る前に、主祭神である伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)

と伊邪那美尊(いざなみのみこと)
や祭神である瓊々杵尊(ににぎのみこと)や猿田彦尊(さるたひこ

のみこと)に一言おことわりを申し上げているのかも知れない。


「それ行くぞ~かかれ~かかれ~」 といかにも戦国時代を感じさせる声色の号令が飛んだ。

すると二挺の種子島が天に向けて発砲されて、それを合図に荒踊の一行は境内に上がっていった。




石の階段の中間に祭祀場がある。

行列の面々が全員この祭祀場の周辺で立ち止まる。


そして荒踊の一行はここでお払いを受ける。

そして再び石段を本殿へと登っていく。



本殿の敷地に着くと、荒踊の一行は本殿をぐるぐる回りはじめた。

槍や弓や鉄砲を担いだ兵隊たちと幟をもった村人が「今から荒踊を始めますぞ~」とでも言っているよう

に本殿を囲んで和やかに行進する。

やがて本殿を離れ、荒踊りの舞台ともいうべき前庭をまた回り始めた。

そして村人が担いできた幟を周囲の樹木に括りつける。



円陣の中心には布製の囲いができていて、その中に音楽隊が入り、お神酒などを飲む。

その間は一部の人たちが前踊りなのか、少数で踊っている。

赤い派手な着物は猿回しだろうか。

戦に向かう軍隊に猿回しを同行させたのか。

その猿回しは猿と同様に激しい動きの踊りを踊る。


(写真の)太鼓に結わえた紅白の紐の先には猿が繋がれていて、猿はこれまた激しく踊っている。



同じ頃、本殿ではお祭りの儀式が始まる。

荒踊りの一行はこの神事には何の関心もないようにただ踊りを踊る。

このあと笛や太鼓がにぎやかに鳴り出した。

神楽が始まったものだと見ると、神楽ではなくて神事の一つであった。

参加者の全員が神妙に神事を進めていく。



そのとき本殿の前庭の荒踊の一行に号令が飛ぶ。

「はれ~はれ~」

それに呼応してホラ貝が鳴った。

ブォブォ~  ブォブォ~

荒踊が始まった。



荒踊りはステップが古式故に面白い。

ステップだけではなく、16種ある演目で少しずつ手の動きが異なるが際立った違いは見てとれない。



16ある演目は総て踊り終えるのに約半日を要する。



小さい子供が無き叫んでいる。

見れば猿が観客の女性から子供を受け取って抱いている。

子供は恐怖心で泣き叫んでいる。

厄除けの伝えでもあるのか。




「どなたも道具を預けなさい~どなたも道具を預けなさい~ 」

の号令がかかるとみんな武具を置いてしまった。


そして「どなたも道具を預けなさい~」の号令で踊りの隊列が休憩しているあいだに地元の女性が参拝者

にお神酒を配り始めた。

コップに半分注いでくれた。

昼間の酒はまた格別に美味い。

「ご昇殿踊りでござ~る」「ご昇殿踊りでござ~る」

道具(武具)を預けてどこかの城か御殿に昇殿するのか、全員が日の丸の扇をもって踊る。



これは大名行列に踊りをつけたのだと思った。

しかし、何ゆえにこのような踊りが発祥したのか、鑑賞していて不思議に思う。


偶然なのかどうか確かめるために暫く見続けたが、鷹匠のステップは左右対称のように見えた。

どういう訳か、他の兵隊のステップは右は右、左は左であった。



「真心踊りでござ~る  音頭とりはござるか~」 「真心踊りでござ~る  音頭とりはござるか~」



「上方踊りでござ~る  上方踊りでござ~る」



烏帽子をかぶって扇をもった武士が小走りに走りながら次の踊りをふれて回る。

その後を猿がついて回る。

猿はこの武士のよくなれた飼い猿であることは察しがつく。

この烏帽子と扇の武士と猿はふれてまわるのに荒踊りの隊列の行進とは反対方向に回る。

思うに、行列の先頭を進む大将の命令を隊に伝える伝令のようなもので、行進する後方へ走りながら命令

を伝えていっている。



長い木刀を持った武士も全体の行進とは反対の方向にゆっくりと歩いていく。

この武士はどうやら行列の兵隊たちを護衛するために周辺を監視する警邏の役割のように思える。

衣装も地味で他の踊りの兵隊たちのカラフルな衣装に比べると浮いていてそれらしい。



「つづいて退散踊りでござ~る  退散踊りでござ~る」 「退散踊りでござ~る  退散踊りでござ~る」





本殿での少女たち四人の見事な舞。



荒踊の方では「いらんの」「いらんの」と村人の何人かが焼酎の一升瓶を抱えて「中入り」の間に回って

いく。

踊り手は、はじめは断っているが後になれば手が伸びて焼酎を飲んでいる。

荒踊は長い時間踊るので体力的には大いにきつい仕事だと思う。

本殿では神楽が奉納されていてその太鼓の音が大きいので、荒踊の太鼓や鉦がかき消される。


「村の鎮守の神様の~♪」とは違ってこちらの荒踊は国の重要無形民族文化財に指定された由緒ある

伝統の祭りなのであるが、地元の人々にとっては「村の鎮守の神様の~♪」にかわりはない。

きっちりとしたリズムを刻む神楽に対して,のんびりとした唄声にのんびりとした鉦にのんびりとした掛け声

の荒踊は極めて対照的。


こうして神楽と荒踊がお互いを気にするでもなく同じ場所で同時に繰り広げられる。

この村の人々にとってはこの猥雑ともいえる祭りの賑わいがおそらくDNAに馴染んでいる。

国の重要無形民族文化財の荒踊を見た。




「どなたも道具をお持ちなさ~い どなたも道具をお持ちなさ~い」


「花は一代名は末代~♪」


「あたれ~あたれ~」

ブォブォ~  ブォブォ~




「かかれ~かかれ~」 「かかれ~かかれ~」

ババ~ン



安堵したように喜々とした表情の村人たちが上がってきたときとは反対に庭を回りながら、やがて石段を降

りていった。

荒踊の一行は本殿で行われている神楽には一瞥もしないでさっさと石段を降りていく。

今夜の焼酎はさぞ美味かろう。

今夜はさぞ焼酎がすすむだろう。

今夜は荒踊でさぞかし話がはずむだろう。



二上山は男嶽(標高1060メートル)と女嶽の二つの峯をもつ山で、高千穂町と五ヶ瀬町三ヶ所とのほぼ中

間にあって、はじめ男嶽の九合目に神社が建てられた。

平安時代に社殿を高千穂(押方)におろすか三ヶ所におろすかで争いになり、結果両方に遥拝所を建てる

ことにした。

その後も不仲が続いたが、16世紀になって三田井親武や甲斐親直らの仲裁があって現在の地に社殿を

建立した。




本殿は総欅造りの三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、社殿の腰組は美しく重厚に斗栱(ときょう)

が組まれている。



当時の優秀な宮大工の棟梁であった牧彦兵門たちが建てたこの社殿には、海老虹梁などに竜や虎や

鳳凰など見事な彫刻が施されていて、西日本ではこの三ヶ所神社以外では例が見られないものだという。



                              見事な竜の彫刻





以下、神社の案内文より


廊下□脇障子の彫刻について

表側□

中国の司馬遷の書いた「史記」にある物語でよく画材などになっております。

中国の帝王で最も立派な帝王であると後世まで尊ばれている堯帝(ぎょうてい)が当時の高徳の士と言わ

れている「許由(きょゆう)」のことをきいて、帝王の地位を許由に譲って立派な政治をやって貰いたいと思

い使いをやって交渉したのですが考えたこともない俗事をきいて、耳が汚れたと言って川で耳を洗ってた

ところに「巣父(そうふ)」と言う農夫が牛に水を呑ませようと川に来てみると許由が耳を洗っているので、何

で耳を洗っているのかとたずねたら、許由は堯帝が私に次の帝王になってくれと言ってきたが、私はそん

な俗事を聞いたので耳が汚れたから洗っていると答えた。



廊下□脇障子の彫刻について

裏側

巣父はそれをきいて、そんな汚れ水をおれの牛に呑ませられぬと言って、上流の方へ行ったという。

その後、堯は舜に位を譲ったのですが、堯舜の時代が中国で一番立派な政治が行われたと言われてい

ます。



旧本殿案内

町指定有形文化財

この神社は東(押方)西(三ヶ所)二上大明神の本宮争い神領争いの境界の紛争その他複雑な原因で双

方社家が不和となり領主三田井氏及び三田井の重臣熊本県御船の城主甲斐親直の仲裁で和議の運び

とななり三田井越前守親武により再建永禄元年(紀元2218年)四月二日斧始、同年五月遷宮槌納の神

事を行ったと棟札に記載されておりますが棟札は亀亀二年に書いてあり遷宮十余年の後書いたもので和

議成立後も種々複雑な問題も残っていたと考えられます。

その後二百六十年後文政元年(紀元2478)本殿改築となっております。

改築のとき岩神鏡山大明神の境内の欅の巨木と交換、岩神神社に移ったのであります。

明治四四年県のすすめで岩神神社は当三ヶ所神社に合祀されまして神様不在の建物になったので廻渕

天神社として再び移したのでございます。

四百年の歳月と二回の移築で建物の傷みも著しく又移転の度毎に建物も簡単にされてあるようでかのま

ま放置しておけば県北最古の建物も朽ち果てると考えられますので建築当時に近い姿で最初建立された

当神社に移転修復保存することにしました。

末永く保存する意味で廻渕全戸の人の同意のもと此処に移したのでございます。


              以上、神社の案内文から





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