椎葉平家まつり

椎葉平家まつり

 

椎葉平家まつり(宮崎県椎葉村) 
     椎葉平家まつり
日向の国の椎葉山は那須山とも言う。

800年前の昔のこと、平家の軍勢は壇ノ浦の戦いにおいて敗れ、かろうじて命が助かった面々は安泰の地を求めて山深く忍び隠れ、天運を待とうと豊後の国の玖珠の山に分け入った。

そこは後に平家山と呼ばれるようになったが、山が浅く、自分達の存在が鎌倉に知れることを恐れ、肥後の国の阿蘇を経て日向の国に迷い入り、そこ(椎葉)の山中で過ごしていた。

しばらく経った頃、源氏の大将源頼朝は屋島の戦いでその弓で平家の軍勢を恐れさせたことで知られた那須与市宗高を呼び、「平家の残党を一人たりとも生かしておいてはならぬ。その方、西国に向けて出立せよ」と出陣を命じた。

このとき与市は屋島の戦いのあとに体調を悪くしていた。

そこで、「私の弟の大八郎宗久は22歳になりますが、弓の稽古においては1本も的を外すこともなく、また、私より体も大きく力も強く、九州に向かわすには適材でございます」と言上した。

それを聞いた頼朝は「大八郎に即刻出陣するように申し伝えよ」と与市に命じた。

領地に帰った与市は弟大八郎に頼朝の命を伝えた。

大八郎は大いに喜んですぐさま軍勢を整え出陣した。




海陸を経て九州に下り、平家の残党の居所を尋ねながら、肥後の国の阿蘇から日向の国との境へと来ると、山が険しくなって馬も通れないようになったので、仕方なく馬を乗り捨てて山を登ることにした。

このとき大八郎が鞍を置き去ったことにより、この地のことは誰言うとなく鞍置村と呼ぶようになったが、その後いつとはなく鞍岡村と変った。

それは元久2年のことであったが、大八郎率いる軍勢は険しい山々をよじ登るように登りりながら進んだ。

落ち延びた平家の残党は日向と肥後の国境付近の深い山里の民家に隠れ、椎や樫の実を拾い、また鳥や獣を獲って命をつなぎ、また、山を開墾して畑をつくり作物を育て、ほそぼそと生活を営んでいた。

椎葉山とは大八郎が暫時陣小屋を営んだ折、椎の葉を以って屋根を葺き雨風をしのいだことからついた名で、それまでは山の名前は無かった。

そして椎葉山は大八郎の名をとって那須山とも呼んだ。

大八郎は椎葉へ入山以来3年の年月を経ていたが、この間、平家の残党はこの山深い地域に散在してはいたものの再挙の見込みは全く無く、ただ日々畑を耕して作物を作るなどして暮しを続けるのみであったので、これを討つことは忍び難いものであった。

それどころか、大八郎はそんな平家の残党のために、平氏がその守護神として尊崇する厳島神社を上椎葉に勧進した。

椎葉厳島神社(宮崎県椎葉村)
                               椎葉厳島神社

また、風景の良い十根川の小高い岡が目にとまり、わが国最古の諸神を祀り、その傍らに大八郎が九州下向の途中、京都の清水寺に参詣の節、手に入れて崇拝していた観音菩薩を安置した。

これらは今も十根川神社において祀られているという。

十根川神社の傍らにはわが国でも稀に見る大きな杉がある。

十根川神社の杜(宮崎県椎葉村)
十根川神社の杜
 
八村杉(宮崎県椎葉村)
八村スギ

この大杉は大八郎の手植えの杉と言い伝わっているが、その他にも此処にある木々は鬱蒼とした林をなし、それは十根川神社の神徳の顕れだと言い、これらの神々しい様は、大八郎が落ち延びた平家残党のために上椎葉に厳島神社を勧進したり、また十根川の地に諸神を祀るなどの行いが神に通じたものであると言う。



いよいよ鎌倉の命によって大八郎は帰国することになったが、そのとき召使の侍女鶴富は大八郎の寵愛を受け懐胎していた。

大八郎は男子なら我が本国である下野の国に連れて参れ、女子であればこの地で暮らせと言い、親子の証拠にせよと天国の太刀に系図添えて渡した。

大八郎の帰国後、鶴富からは女子が誕生した。
鶴富は那須の血脈を大切に思い、娘に婿を貰い那須を名乗らせた。

その後椎葉は代々その末裔が支配したと言う。


椎葉平家まつり(宮崎県椎葉村)
                        椎葉平家まつり

国の重要文化財の鶴富屋敷(宮崎県椎葉村)
                   鶴富屋敷(国の重要文化財):宮崎県椎葉村

九州山地(九州中央山地国定公園)の宮崎県側は1000メートル級の深いV字谷が地域間のつながりを妨げる。

谷壁の平均傾斜度は日本アルプスなどに次いで日本第三位の険しさだという。

宮崎県の西部にある九州山地は南北に連なるが、この山嶺に直行する形で川が東側の太平洋に流れている。

北から五ヶ瀬川、五十鈴川、耳川、小丸川、一ツ瀬川、大淀川などがそれに該当するが、それぞれの流域間は急傾斜の尾根で仕切られていて相互間の往来は簡単ではない。

椎葉村は現在も道路網の密度は低く、国道の改良率も10%台となっている。

九州山地沿いに走る265線、日向市と結ぶ327号線、南部を東西に抜ける446号線の国道と、県道、村道、林道が川沿いに走っているが、いずれも幅員が狭く、カーブが多い道であるので今尚椎葉への通行は難儀する。

平家落人伝説は「椎葉山由来記」によるもので、このページの記述もそれを元としたが、真偽は別にしても那須大八郎と鶴富姫の悲恋の物語は椎葉(宮崎県)の重要な無形の財産である。

椎葉村付近の航空写真(地図が必要な場合は地図の文字の上をクリック)

Copyright (C) All Rights Reserved ようこそ宮崎  宮崎mini辞典  椎葉平家まつり:宮崎県椎葉村    

スポンサードリンク