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祝子川

祝子川渓谷

鹿 川 渓 谷


祝子川
渓谷に行くには祝子川に架かるJR日豊線の鉄橋のすぐ上流の祝子橋の南詰を起点に川の右岸の道路を行くことになる。

富美山、柚木、宇和田、大野と通り、黒岩中学校の先で 祝子川 の対岸に渡る。

桑平の集落を前に左(西)の行縢山と右(東)の可愛岳の二つの山の山裾がせめぎあう。
そこは50メートルほどしかない二つの山の間隔で、川底のさらに底では行縢山脈を形成するこの二つの山は繋がっているのだろう。
その僅かに開いた鈍角V字の隙間を 祝子川 が流れている。
それから先は大崩山まで連続する山々の山裾が祝子川の堤であり、県道は山の裾を僅かに削り取って川に沿って上祝子へ通じる。


                  国指定の天然記念物   モウソウキンメイチク林

藤原光政の銘の入った鏡がでてきたという池を探しに祝子川(ほおりがわ)の上流まで行った。
「美人の湯」温泉まで行くと地元の一組のご夫婦が待っていてくれた。
興味ある話をいくつか聞いたがその一つが、この金色に輝く「モウソウキンメイチク」だった。
切れば今にも「かぐや姫」がでてくるのではないかと思うこの黄金食の竹はモウソウチクの突然変異で突如発生するという。
昭和45年に全国で初めて国の天然記念物に指定を受けたが、その後は一件の追加指定(福岡県久留米市)があったのみで全国に僅か2ヶ所しかない天然記念物の一つである。
モウソウチクと同じで生命力が強いため栽培が容易で、近年公園などで植栽されているのを見るようになったが、天然の竹林で全国での指定第一号という価値あるモウソウキンメイチク林がひっそりとある。
そのモウソウキンメイチク林のすぐ近くに小さな渓流があった。
ご夫婦は「この渓で昨日アブラメを5匹釣った」と言った。
餌を訊ねると「ソーセジ」だと答えてくれた。

針は小さい針だそうで、仕掛けとかはまったく気にしてるようではなかった。



その昔、平家の落人が住み着いた里だという伝承が残る「上祝子(かみほおり)」。
至るところに澄み切った水が流れ出し、住民はその水を使って豊かな自然と共存する。
一般の家庭の庭に引き込んだ自然水で作る池にはタダの水がふんだんに流れ込み、そして絶えず流れ出ている。
観賞用の緋鯉と一緒に悠々と泳ぐこの魚は虹鱒である。
体長50〜60センチの堂々とした体格の虹鱒は、さしみにして今すぐ食べたいような食欲をそそる。
盆などの特別な日に家族や身近の人々と食べるために養っているそうだ。

今言う「限界集落」らしい「上祝子」には雀がいないとご夫婦が言った。
諦めていた予期せぬ言葉にかなり驚いた。

ご夫婦は、平家の落人がこの地に住み着いたとき、雀がいると追っ手に人が住む里だと分ってしまうことを恐れて雀を根絶やしにしていまったことから、その後は雀がこの地に住み着かなくなったという。

2008年6月23日のブログに「宮崎県北部にある五ヶ瀬川の支流の祝子川(ほおりがわ)は、ホオリが生まれた時に産湯として使った川と伝えられ、ホオリが田の神であることから流域には雀が生息していないのだという伝承がある」という記事を投稿したら、2〜3日して上祝子の下流(祝子川全体で見れば中流域)の人からメールがあった。
その内容は「私が生まれ育った祝子川流域には昔から雀はいて、屋根の瓦をめくって雀の卵をとって、そのあと雨漏りをして怒られた」というものだった。

平家が先か、ホオリ(ひこほほでみのみこと=山幸)が先か。
勿論時代的にはホオリが断然先であるが、雀についての伝承はどちらが先に生じたものであろうか。
どちらにしても極めて興味深い伝承であるが、平家の落人の伝承は比較的一般の人々に知られているが、ホオリの伝承は忘れられているところが大きい。

はじめはホオリとの関係で語られた雀不在の理由に関する伝承は、ホオリが人々から忘れられていく中で、人々がよく知る平家落人との関係に結び直されていったのが真相ではなかろうか。





明治10年(1878)8月17日の夜10時に、延岡市北川町俵野の児玉家を出て可愛岳を突破した。
可愛岳から祝子川に降りて、途中政府軍と交戦しながら19日に上祝子に着いた。
西郷隆盛が宿陣したという家は現在もあって、そのご主人は「じさんのじさんのじさんの時じゃ」と言っていた。



藤原光政天下一 西郷隆盛が宿営した「小野熊治宅」ではないが、この集落の古い民家の池から出てきたという二枚の鏡。
銘からすれば江戸初期の鏡師の藤原光政の作と思われる。
縁、柄、地模様が同じでサイズが違う二枚の鏡は後ろの髪形を見るために合わせ鏡的に使うことを目的としたものなのか。
西郷軍の実力者の誰かが何者かに託されたか、それとも薩摩で待つ自身の大切な人に持ち帰ろうとして持っていたものであろうか。
取り敢えず、この上祝子には着いたものの、これから薩摩まで延々と続く困難な山越え行軍を前にして、その思いを断ち切って埋めたのものであろうか。
命を懸けて戦に明け暮れながらも、戦場から愛する妻やあるいは恋人へ想いを寄せる男達の情景が見えるようである。








上祝子は大崩山の麓の猫の額ほどに狭い土地である。
大崩山と大崩山から流れ出る祝子川と深い関係の中で人々の生活が営まれてきた。

2007年の台風のときには上流のコンクリート製の頑丈な橋が流されるほどの雨が降った。
激しい雨がもたらした激流で大崩山の斜面のあちこちの山肌が削り取られて大きな岩石が崩れて祝子川に落ちた。


橋は水に流されたのではなく大崩山から崩れ落ちた大きな岩石で叩き壊されたのではないか。

そのときのことを住民は「川で石がぶつかる音が激しいして、怖じして眠れんかった」という。



祝子川は祝子川渓谷のある上祝子から中流域にかけて、この写真のように何百トンもあるような大きな沢山の石が川を流れている。
2000万年前に造山したと見られる大崩山は人類が誕生する前からも地震や豪雨によって度々大崩れをしたのかも知れない。
そして崩れ落ちた岩石は祝子川に落ち込んで、大雨の時にはしばしば「ゴツン、ゴツン」と山の神のうなりのような激しい音を発してぶつかったのかも知れない。







上祝子に「美人の湯」という温泉がある。
美人だけがつかう温泉ではなくて、この温泉に入ると肌が美しくなって美人になるそうだ。
この美人の湯の露天風呂からは大崩山が見ることができる。


だごじる「美人の湯」で「だごじる」を食べた。
ここから僅か2〜3キロ北は大分県境になるが、大分県でも有名な郷土料理「だごじる」は一歩宮崎県に入ると全く別物になってしまう。
宮崎の郷土料理としてもポピュラーな「だごじる」は、鶏肉でだし汁をつくり、野菜は大根、にんじん、ごぼう、白菜をつかう。
「だご」は、そば粉ともち米粉を水に溶かして手でこねて3〜5センチの平たい円形のものをつくり、だし汁に入れて煮る。
家庭では時間を節約するために、だごを指で千切って鍋に入れた。
または大きさを均等にするために匙でとって鍋に入れた。
あるいはしゃもじに乗せて包丁で切りながら鍋に放り込んだ。
もち米粉のかわりに小麦粉も使われた。
そば粉がないときは小麦粉だけでも作った。

地元出身の同伴者に「だごじる」を暗にすすめた。
「おらここまで来てだごじるを喰わんでいい」と言ったが、考え直したようで「だごじる」を注文した。
口に入れると「美味い」と言った。








全く予定外のことであったがとても興味深い話を聞いて、そのまま勇んで「神さん山」に行った。
この険しい参道を登ったら広場があった。
簡単な鳥居をくぐるときれいな三角形をした大きな石があり、その奥に小さな祠があり、それらを覆うように巨大な一枚岩があった。

ここに来る前に交わした話からすれば、間違いなくホオリを祀っていると思うが、ホオリとの関わりを知っている人物が限られていて、この日はここがホオリを祀っているという確証を得ることはできなかった。

ひょっとしたら、祝子(ほおり)川の祝子川たる所以の原資の情報がここにあるのではないかと思う。

地元の人の話だと、時々100〜200人くらいの人がここを訪れるそうだ。
「巨石信仰」ではないでしょうかと言っていたが、私からすれば、巨石信仰の分野の位置づけも気になるが、ホオリとの繋がる材料があるように思える貴重な場所だ。


「神さん山」の神様は昭和30年に川の対岸の「祝子川神社」に遷したというが、元祖「神さん山」には謎がある。





スズメバチふうらん「あぶらめ」を見せてもらうためにご夫婦の家に案内してもらった。
やはり自然の山水を引き込んだ池には少し古くなった竹製の魚篭が浸けてあり、魚篭を引き揚げると「あぶらめ」は2匹いた。
残りの「あぶらめ」は魚篭の隙間から逃げ出したようだった。
二枚の鏡は池の底から出てきたと聞いたときに、町場の民家の庭にある普通の池を想像した。
つまり、水は水道の蛇口を捻って入れるタイプの水の流れの無い池を想像した。
上祝子での池はこうしていつも清流が流れ込むタイプの池で、ほとんどどの家にも池がある。

こういう上祝子ならではの特徴をもつ池を何かの都合でさらえるときに出てきたのだ。

お宅の軒下の物干し場にはスズメバチが巣をつくっていた。
危険だけどもう少しの間巣を作らせてある程度の大きさになったところで巣を獲って蜂を食べると言っていた。

別のお宅では博物館に展示してもいいような巨大なスズメバチの巣がガラスケースに入れられて玄関に置いてあった。
しばらく話を聞いたあと辞去したが、「ふうらん」が杉の木に寄生しているのを見た。







祝子川渓谷は石と水がとても素晴らしい。
家に閉じこもりがちな現代の生活の中でこんなに素晴らしい世界があることを再び認識したい。
子供とテーマパークで遊ぶのも良し、しかしこんなに恵まれた自然がすぐ近くにあるのだから川に来て、山に来て遊ぼう。

すこし年をとったら無理はしないで美しい自然を遠くから眺めて美味しい空気を吸えばいい。
「美人の湯」に終日ごろごろしたら如何ほど金がかかろうか。

祝子川渓谷の上にあった祝子川小中学校は平成15年3月31日に閉校となった。
限界集落の範疇にあるとすればやがてこの上祝子は消滅する。
村の人が言った。
上赤からの林道があって、大分県佐伯市宇目方面からはその道が近いから温泉にも来やすいのに、少しばかり道にひびがあるからといって鎖で閉鎖して通行させないようにしている。
林道のことを言っているようだったが、林野庁の所有と見られるその道は帰りの都合で確かめることはせず、次回に回した。

写真の技量が未熟で本当の美しさを表現できていないが、祝子川渓谷の数枚の写真でご推測いただきたい。


























オリンピアロード祝子川 渓谷に行くには祝子川に架かるJR日豊線の鉄橋のすぐ上流の祝子橋の南詰を起点に川の右岸の道路を行くことになる。


富美山、柚木、宇和田、大野と通り、黒岩中学校の先で 祝子川 の対岸に渡る。


その道には「動物に注意」ではなく「ランナーに注意」という看板がある。

看板があるのは「オリンピアロード」と呼ばれている道で、これまでにこの道を走ってトレーニングした多くのアスリートがオリンピックや世界選手権という世界のヒノキ舞台で活躍した。

双子のランナーの宋兄弟や「こけちゃった」の谷口浩美、バルセロナ五輪の銀メダリスト森下広一など旭化成陸上部の選手だけでなく、出稽古に来た増田明美など、実に多くの有名選手がこのオリンピアロードを走ってトレーニングをした。

このオリンピアロードは祝子川に沿って上祝子に通じている。

多くのアスリート達はこの美しく険しい川沿いの道を、輝く未来を夢見て(苦しさを超えて)来る日も来る日も走ったのだろう。
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