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御田祭 |
御田祭 |
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御田祭 |
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宮崎の夏は御田祭で始まる 970年の伝統を持つ美郷町西郷区(旧西郷村)田代神社の御田祭(おんださい)は、主祭神は神話「海幸彦、山幸彦」で有名な山幸彦の彦火々出見命(ひこほほでみのこと)、つまり天孫降臨の瓊々杵尊(ににぎのみこと)とその妻、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の間に生まれた神様で、その御神霊を毎年7月第1日曜日に近くの上円野神社よりお迎えし、上の宮田から中の宮田への御神幸により行われる田植祭り。 田代神社は標高897メートルの日陰山(別名権現山)の中腹に祀られ、1032年に創建され、旧社名を霧島神社といった。 祭りの日は、田代神社の本社が権現山の中腹にあるため、上円野神社までの神霊の御降りを願って、安置された神輿に乗り移られ、途中上の宮田に神幸される。 祭りは、古来から世襲制の家柄が古式の祭事役(ミヨド・ウナリ・ノボリモチ)を務め、これに一般の参詣者も加わり、神人・牛馬一体となって、神田の整地から田植えを行い、参詣者の豊作と無病息災を祈願する。 同時に、牛馬の守護神かつ農耕の神として、牛馬の安全を祈願する。 この神田の泥しぶきを浴びると、無病息災が約束されるといわれている。 この祭りには、催馬楽(さいばら)の歌詞も伝えられ、古来の稲作神事がしのばれる近郷では珍しい民俗行事で、県指定の無形民俗文化財になっている。
この日07時45分には祭りの会場の田代に着いた。 すでに沢山の観客が田圃の周囲に陣取っている。 神田の広さは1反から2反の間というところか。 カメラの三脚や撮影用の脚立は遠慮して欲しいと書いた小さな立札があるが、観客の相当数が三脚や脚立を据えたままで極めて厚顔無礼。 高千穂鉄道の存続は危ういが日本人の公共心の行末も大いに不安。 神田の水は澄んでいて、いつでも田植ができる田のようで、その水面スレスレを、2〜3羽のツバメとトンボ達が飛んでいる。 トンボは産卵をしているようで、尻をチョンチョンと盛んに水に着けながら飛ぶ。 中にはまだ愛の進行形の雌雄もチラホラ。 ゲンゴロウを久し振りに見た。 ゲンゴロウなどは昔は沢山いたもので、特別に関心をひく昆虫ではなかったから観察することもなかった。 ゲンゴロウは頻繁に水面に顔を出す。 形はカナブン系だから、もともとは地上の生物であったものが進化して水中に棲んで、だから呼吸のために…などと。 よく見ればゲンゴロウにはテリトリーがあるのだろう、一定の(狭い)範囲に一匹ずつ単独で暮らしているみたいで、神田のどこそこにゲンゴロウの息継ぎで出来る小さな波紋が見える。 アメンボウもいる。 イトトンボもいる。 昨年のこの祭りはドシャブリの雨の中であったらしいが、今年はジーンズ越しの太腿がジリジリと暑い猛暑の中だ。 「毎年御田祭に来ていて、宮崎の夏は御田祭で始まるように思います」という進行役の女性の言葉に説得力がある。 馬や牛が控え所に集まってきた。 (中にはプロのカメラマンも居るのだろうが)プロ擬きの装備をしたアマチュアカメラマンがさらに続々と集まってきた。 こんなに沢山の人が撮った写真は何に使われるのだろう、などと無用なことを考える。 雲が出てきた。 涼しくなった。 神田の隣に設けられた仮設の厩舎で牛馬が水をかけて貰っている。 いよいよ始まる。
二頭の馬が神田に入ってきた。 牛も一頭入ってきた。 神田の縁沿いを歩いて回る。 一周しようとする時、突然二頭の馬が暴れて泥しぶきを上げる。 馬は農耕馬だが、サラブレッドとも都井岬の野生場とも違って胸も腰もずっしりと重量感があって、しかも神田の泥水を浴びた艶やかな光沢の肌の肉体は、美しい。
馬が走り出すと神田の水はあっと言う間に掻き混ぜられた泥で濁ってしまい、夏の強烈な田圃の匂いの泥水を、馬が傍を駆け抜ける度に浴びる。 カメラマンはギリギリまでシャッターを押し続けて、一斉に逃げる。 泥を避けて人間が畦から飛び退がるのと何台ものカメラが上空に持ち上がる様子が高速のスタジアムウェーブのようで面白い。 体はすぐに泥臭くなってしまい、よくぞ帽子だけは被ってきたことだと思った。
一回目の牛馬入れをしたら、向かいの権現山にお祭りしている神様を迎えるようだ。 主祭神はヒホホコデノミコトだというアナウンスがあった。 ここで再び神楽が奉納される。 牛馬入れの前の神楽は「地割り」と紹介があったので、今度は地霊の神の神事か。 となれば、今始まったのはいよいよヒホホコデノミコトをお迎えする神楽となる。 お宮は代々世襲でお祀りしているという。 1000年近くの年月を通して受け継がれてきた御田祭に、人々の田や牛馬に対する思いの深さを感じさせられる。 子供御輿が神田に入るらしい。
子供神輿は田代小学校の児童が学年ごとに1基づつ製作したもので、一年生は、近くの「おせりの滝」の滝壷に住むという伝説の竜神をモチーフにした可愛いお神輿を、先生や父兄と思われる人々と一緒に担いで入ってきた。 神田を一周半練り歩いたら、子供達はこの時とばかりに一斉に泥田にダイビングを始めた。 神輿は同伴の大人達に担いでもらい子供達は無邪気にダイビングを楽しむ。
子供神輿の後に再び牛馬が神田を走り回ったら若者達の御神輿が入ってきた。 ぬかる田圃に足をとられて、体力のあるはずの若者達も御神輿を上手く操れない。 一回りすると、舞台の前の神田の中に台座を据えて、そこに御神輿を安置した若者達は円陣を組んで、そして何かを叫びながら一斉に走り出した。 泥田のグランドでのボールのないラグビーが始まったみたいで、すると、一人がみんなに捕まって胴上げされると、そのまま泥田に叩きつけるように落とされた。 この荒っぽい胴上げ?は次のターゲットを決めて、最期の一人まで続けられ、全員が泥だらけになった。 祭りの喜びとお互いの祝福を込めた若者達の御神輿だ。
神田に着いて、観客がカメラをビニールで養生しているのを見て、雨対策?と思ったがあまり気には留めなかった。 隣に熟年の男女四人がいて、その中に「先生」と呼ばれる男性が「暑いでしょう」と声をかけられるのを聞いた。 その先生なる人を横目で見ると、「先生」にはどうかと思うような古い合羽みたいなものを着ていた。 御田祭は回を重ねると服装がバージョンアップしていくそうだ。 合羽の先生は常連だと後になってわかった。 牛は人間達をおちょくるように突然駆け出しては、牛引きを泥だらけにした。 暴走した牛が神田の中に安置していた御神輿の台座に激突して御神輿が田圃に落ちるハプニングがあった。 幸い御神輿は泥だらけ寸前に若者達によって救われて無事に安置しなおされた。 牛馬が近くを駆け抜けるときに跳ね上げる泥だけではなく、御神輿の若者達の走り回るときにも泥を被り、全身が泥だらけになった。 体中が泥臭く、泥ウナギのような臭いを放つ。 耳の穴にも泥水が溜まっている。 ジーンズは泥染になった。 帽子は泥模様になった。
「催馬楽」とは平安時代の言わば流行歌で、民謡や和歌を雅楽風に編曲したもので、諸国からの貢物を納める際に、それを背負わせた馬を駆り立てる時に馬子が歌ったことから、この名前がついたと言われている。 中央の舞台で男達が催馬楽(さいばら)を唄う中、大勢の早乙女達がお祓いを受けたあと、広い神田の中に二列に並んで田植をはじめた。 地割り神楽に始まり、牛馬入れ、お神輿、田植と続いた美郷町西郷区田代の御田祭の二日目は、見事に見る者(一般の参拝者)も満足させて幕を閉じた。 |
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