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■ 鹿川渓谷 (雑記帳 file no.6)
2007.06.10は鹿川渓谷に行った。
子供の頃、「学校の帰りに道草をしてはいけません」とよく先生に言われた。
昨今、道草は子供にとって命取りにもなる物騒な時代。
私はといえば、鹿川への道の途中のどこそこで路傍の、名も知らぬ花々を見つけては、そのたびに何度も道草をした。そして写真を撮った。花を見逃さないためにゆっくりバイクを走らせた。終いには、「道草を止めないと目的地に着くのが遅くなる」と考え直した。
国道218号線のバイパスを使わず、川沿いの道を走って槇峰へ右折。
しばらく走ると右に比叡山(標高918m)、左に矢筈岳(同736m)がいきなり頭上に見える。
二つの近接した山はほとんど垂直にそそり立っていて、二つの山がつくる千尋の谷の底には日之影町と北方町(延岡市)の境となる綱ノ瀬川が流れる。
鋭角のV字の造形は、網ノ瀬川があたかも神がかりで二つの山を切り裂いたかのように見える。
行縢山脈に属する比叡、矢筈は石英斑岩からできているために風化されにくく、ゴツゴツと尖りながら重なり合って、それは奇景であって美しい。二つの山の景観はぜひ、後日、このサイトで見ていただきたい。
登山愛好家がロッククライミングをしているのを仰ぎながら一路鹿川渓谷を目指す。
(2007.06.10) 
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これから先の写真は拡大
してご覧いただけます。
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| 右が比叡山 左が矢筈岳 |
■ 「神話高千穂トロッコ鉄道」が危ない (雑記帳 file no.7)
05年の台風災害で経営を断念した第三セクターの高千穂鉄道に代わって運行再開を目指している神話高千穂トロッコ鉄道に対して高千穂鉄道の取締役会は「(国土交通省からの神話高千穂トロッコ鉄道に対する)認可のメドが立っているとは思えない。現時点では資産の無償貸与の決議は見送らざるを得ない」と決議を見送ることを申し合わせた。 宮崎のローカル線
「神話高千穂トロッコ鉄道」が危ない…(2007.06.21) 
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| 流された鉄橋 |
■ 御田際 (雑記帳 file no.8)
970年の伝統を持つという美郷町西郷区(旧西郷村)の御田祭(おんださい)に行った。
07時45分には現地に着いたけどすでに観客が田圃の周囲に陣取っている。「カメラの三脚や撮影用の脚立は遠慮して欲しい」という旨の札も、司会のアナウンスも無視して三脚や脚立を撤去することもない。高千穂線の存続も危ういけど日本人の公共精神の存続も危うい。
田圃に目をやれば、ゲンゴロウやアメンボウがいて、 産卵中のトンボとツバメが水面を飛ぶ。馬が田圃に入ってきた。馬は勿論農耕馬だけどサラブレッドとも都井岬の野生場とも違って胸も腰もずっしりと重量感があって、それは正しく肉体美に他ならない。
暑いのに隣に座った人は合羽らしきものを着ていた。祭りが始まって、牛馬から田圃の泥水を何度もかけられて合羽の意味が分かった。この祭りのリピーターは、回を重ねると装いのバージョンがアップしていくらしい。
そういえば、沢山並んだカメラの多くがビニールでカバーされていた。これもバージョンアップの一つだった。牛馬のクライマックスが終って気をゆるしたアマチアカメラマンの立派なカメラが、最後のサービス?とばかりに疾走してくれた馬が跳ね上げた泥水をまともに被って泥だらけになった。
脚立も三脚も使っていない人のカメラだったのが残念。
宮崎(日向国)は興味が尽きない…(2007.07.01) 
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| 御田祭(二日目の朝) |
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| 御田祭(牛馬入れ) |
■ 木花開耶姫が盗難 (雑記帳 file no.9)
昨夜友人と食事をしているときに、西都原古墳について訊かれた。
地元の伝承と断ったうえで、話が木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)のことになったときに、「そういえば、高千穂町の木花開耶姫の銅像が盗まれたらしいね」とその友人が言う。
その銅像は以前より私が気にしていた銅像で、見るたびに古代の宮崎美人を想像していたものだった。
「ようこそ宮崎」の「宮崎と神話」のページに載せたい銅像だったが、カメラの腕が悪いために周囲と木花開耶姫がミスマッチで、自分としては使えない写真だった。
本日「高千穂峡」をUPする。
オクラ入りしていた写真を載せよう。
(2007.07.10) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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| 盗難にあった木花開耶姫 |
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■ 宮崎と神武天皇 (雑記帳 file no.10)
「宮崎と神武天皇」のページは2006年の夏に初めてUPして、その後内容に不満の日が続いた。
今日は非常に強い大型の台風4号が沖縄に最接近していて、ここ宮崎でも大量の雨が降り、県内各地で道路の不通が起きていたり、避難勧告が出ている中での言わば「どさくさまぎれ」の全面改訂になった。
細かい部分までは手が回らず、変わらず不満はあるものの、ある程度は神武天皇物語りの構想に近い内容になったと思う。
臼杵高千穂での伝説など、神武天皇の兄や孫など、少し加えたいものがあるので、それはするとして、他のページも中途で止まっているものもあるので、そちらも進めていきたい。
今後も宮崎を(バイクや車で)走ったり歩いたりすると、また新しい神武天皇像が浮かんでくると思う。
そのときはまた手直しをしていきたい。
神武天皇はほんとに宮崎におったかって? そら~おったじゃろ… (2007.07.13) 
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| 矢研の滝(神武伝説) |
■ 青島 (雑記帳 file no.11)
青島をお忘れじゃありませんか?
Googleで「青島」を検索して驚いた。
「青島」は中国のチンタオと故青島幸男氏が一位二位とWikipediaの記事が並ぶが、宮崎の「青島」はない。
かって観光の表舞台であった「青島」は過去の栄光なのか?
そうではない。
「都井岬」や「高千穂峡」と並んで「青島」は宮崎の重要な観光資源である。
「青島」のページを作ろう。
青島をディスカバーしよう… (2007.07.18) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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■ 高千穂線復活支援総決起大会 (雑記帳 file no.12)
高千穂線復活支援総決起大会に行った。
野口記念館が満席になった。
2億円をいかにして集めるか。
これに尽きる。
オープニングに「延岡神楽保存会」がアメノウズメノミコトの舞とトガクレノミコトの舞を紹介した。岩戸神楽(高千穂夜神楽)でいうタジカラオノミコトは延岡神楽ではトガクレノミコトと言うらしい。
岩戸神楽は33番、延岡神楽は37番で、アメノウズメノミコトとトガクレノミコトの二神は岩戸神楽とは装束も少し違った。アメノウズメノミコトは「面白可笑しく踊って八百万の神々を湧かせた」のは伝承としては変わらないが、伝承に反して静かな舞は共通する。
岩戸神楽での二十六番 「戸取」に相当するところでは、トガクレノミコトは岩戸に3回から4回激しく体当たりをした。これは大きく異なるところ。
デジカメの調子が悪くて総決起大会の模様を紹介できない。
よく働いてくれてありがとう… (2007.07.22) 
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■ ETOランドと速日の峰の名前の由来 (雑記帳 file no.13)
エトランゼというフランス語を調べると「異邦人、見知らぬ人、旅人」とかいうことが書いてある。
ETOランド(エトランド)は延岡市北方町の「速日の峰」にあるアミュズメントパークで、初めて「ETOランド」を知ったときに、「エトランゼ」の音をモチーフにしたネーミングだと感じた。
(旧)北方町は日本で唯一の干支の町。
通常の「宮崎市橘通り」はここでは「北方町午XXXX」となる。
ETOランドがある「速日の峰」は標高868mで、東に20kmで日向灘に達し、北東12kmに標高830mの行縢山があるが東には遮る山はない。
西は六峰街道の山々が連なる。
日向灘に日が昇るときまず初めに日光が達する山が「速日の峰」だと誰しも思い、それ故についた名前と考えそうな山。
宮崎には神話や伝承に由来する土地の名前が沢山ある。
ここ速日の峰からは北西に20kmの西臼杵郡高千穂町は神話の町だから当然のことながら神話や伝承に由来する地名は沢山あるが、高千穂町から東の方面になると、日向市美々津周辺を除けば案外少ない。
少ないながらも、速日の峰から北東から東にかけての半径約12kmの附近に「舞野」「武野」「行縢山」「矢筈の滝」といった「日本武命(やまとたけるのみこと)」の伝承に因む地名が残る。
では「速日の峰」と「速日命」は関連はないのか?
速日の峰の南約25kmに標高1405mの「尾鈴山」があって、そこには天孫瓊々杵尊の兄の邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)が高天原から降りて、そのまま乗り捨てて行ったと伝わる大きな岩石「天の磐船」がある。
尾鈴山とは伝承が重なるが、やはり「速日の峰」と「速日命」は因果関係があった。
しかし、日本書紀などの記述によれば、神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かって、「天磐船」に乗って邇藝速日命が降臨したところは「河内国」となっているから、どちらがどちらやら…
でも、宮崎人としては高天原は何処か?高千穂か?とか考えはじめると、古代はますます面白い。
神話の時代にエトランゼ(邇藝速日命)が日向の国の速日の峰に、乗って来た天の磐船から降り立った。
そこは後の世にエトランドと称する庶民が遊ぶ所となった。
そんな「ETOランド」さんのご繁栄を祈る。
ともかく、「日向国」に降臨したと記紀に明記されているのは天孫瓊々杵尊だ…
(2007.07.27) 
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■ 宮崎県庁・楠並木のコリドール (雑記帳 file no.14)
宮崎県庁に行った。
県庁前の楠並木も改めて鑑賞した。
土曜の早朝のの~んびりした雰囲気を写したかったが、祭り(えれこっちゃ宮崎)の準備で仮設の資材を積んだトラックが数台、県庁舎の前の楠並木の道に駐っていて、仮設の組立て作業もしていて、少し宛てが外れた。
庁舎の前庭では園芸の業者さんが植栽の手入れをしていた。
背の高いフェニックスは高所作業車のブームをかなり伸ばした状態で薬剤みたいなものを上から散布していた。
他にも何人か作業をしていて、県庁ともなればこれほど大掛かりになるのかと思った。
写真を撮る上ではこれも少し宛てが外れた。
新しいカメラで撮った県庁と楠並木の写真を掲載したい。
県庁が観光スポットだなんて…
(2007.07.28) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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■ 青島 (雑記帳 file no.15)
青島に行った。
2006.05.20以来になった。
まず、青島に訪れる人の大方がそうであるように島に架かる橋の手前から島やその周辺の波状岩を眺める。
そして、左に広がる「青島海水浴場」とその先に曲線を描く砂浜と緑の松林を見る。
橋を渡りながら右手の波状岩を見て、そして、橋の左側に寄って反対側の波状願を見る。
橋を渡り終えるとすぐ右側に奇岩が見える。
地震を引き起こすメカニズムによって隆起させられた岩盤にイレギュラーに付属していて、層を成して連なる本体の岩盤にくっついたままで海上に姿を現したような突起した岩。
まるで化学薬品を垂らして溶解したのかと思うような、そう、アーノルドシュワルツネッガーの映画の、何度撃ち砕いても、その度に水銀が表面張力によって丸く寄せ集まってきて復元するような、あの異星人に似て、不気味な形状をしている。
突起した岩の本体にあたる一列の波状岩(泥岩)は、その付属の岩を含めて周辺の波状岩とは違い、異彩を放つ。
これら、青島の「奇型波蝕痕」は国の天然記念物に指定されている。
青島神社の社殿の前から右へジャングルの中へ入って行く道がある。
その奥まったところに「元宮」があり、青島の中央部にあたるという。
そこは古代において祭祀が行われていた場所とかで、勾玉とか土器とかが出土するらしい。
今回は青島の自然が目的なので、その点は別に譲るとして、その「元宮」への30m程度の細い道は鬱蒼と茂るビロウの林の中にあって、外周からしか観ることができない青島の中では唯一ジャングルの中を見ることができる道になっている。
4,500本とか5,000本とか言われる青島のビロウを含めた亜熱帯性植物群は国の特別天然記念物に指定されている。
「元宮」の参道を歩くと、また島の周りを歩くと、ビロウの幼樹がどこそこに見られる。
毒を持つ「クワズイモ」などを含めて、自然を守りながらこの亜熱帯性植物群を多くの観光客に見せるようには出来ないものか。
青島の波状岩は壮大である。
日向灘との接線まで行って間近に見る「鬼の洗濯岩」は壮大である。
自然を守りながらこの「鬼の洗濯岩」をもっと多くの観光客に見せるようには出来ないものか。
貝類は泥岩が嫌いで、ゆえに細かな藻しか付着せず極めて滑りやすい。
2kmある青島の波状岩を一周する途中で転倒してジーンズの布を岩と脛の摩擦で引き裂いた。
激痛にしばしその場にうずくまって息を殺して耐えた。
ジーンズの膝の部分を裂いた今流行(はやり)のファッションみたいになったが、まだこの島に名が無いとしたら「足摺島」とでもしようか。
四国高知は足摺岬で九州宮崎は足摺「島」…(2007.07.30) 
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■ 黒川紀章 (雑記帳 file no.16)
高名な建築家
「神話高千穂トロッコ鉄道」に対して『地元の希望する金額を全額出資する。地元が立てた再建計画に協力したい』と話したという。
参議院議員の選挙期間中に来県して「高千穂鉄道と青島の再生のために私財を投入する」と公約をしていたという。
さらに、高千穂鉄道の経営に参画する意思はないという。
黒川氏は一個人として宮崎に深く関わりがあるとは思えないが、氏の意思を有難く感謝する思い。
本日 「青島」のページ をUPする。
黒川氏は青島をどう描くのかな… (2007.08.01) 
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■ 無題 (雑記帳 file no.17)
宮崎県南の北郷町に「森林セラピー基地」を目指す「猪八重(いのはえ)渓谷」がある。
約300ヘクタールの常緑広葉樹を中心にした天然林があって、中に20を越す滝があり、かつ、苔類の宝庫という。
宮崎県内では「森林セラピー基地」には2006年4月に日之影町が選ばれ、ついで綾町が選ばれた。
この三町の森林基地は「ようこそ宮崎」の中で優先順位の高い課題と位置づけている。
ごく最近の文明が自然の森林を破壊してきたつけが溜まった結果か、または、地球温暖化の影響か、これまでも宮崎ではいつも何がしかの災害は発生していたが、近年の台風の災害は今までとは違う激しいものがある。
今年もすでに4号、5号と相次いで上陸して早い時期から災害をもたらしている。
一昨年に高千穂鉄道に壊滅的な損害を与えたばかりなのに今回の5号はまたしても同じ地区の日之影町の森林セラピー基地に損害を与えた。
少しでも災害の状況を見聞できないものかと出掛けた。
今年の6月10日行ったばかりの「鹿川渓谷」の入口が槇峰駅の手前で土砂崩れによって通行止めになっていた。
さらに西に進んで、「日向八戸駅」の少し東にある「八戸観音滝」が見えた。
高千穂鉄道の鉄橋?から一瞬だが全貌が見える。
雨の後で水量が多く、「観音様」のように美しく神秘的に見えた。
「日向八戸駅」は注意して通らないと駅を確認できないくらいに地味にあるが、その眼前は「星山ダム」がつくる湖水が満々としていて豊かな気持ちにさせてくれる。
次の駅は「吾味駅」。
「ゴミ」と発音するが、同じダム湖がさらに美しいロケーションの駅。
「吾味駅」から夏草が生い茂る線路を歩いて行って、その先にある満々と水を溜めたダム湖の上に架かる鉄橋を渡った。
やはり高千穂鉄道の沿線は美しい。
日之影町の「森林セラピー基地」入口の災害の程度を見ようと出掛けたのに星山ダム周辺の美しさが先に目にとまって目的が替わってしまったが、それもよし。
『トロッコ五ヶ瀬川下り』
川下りを船でするのは当たり前だが、鉄道トロッコで川下りができるのが高千穂鉄道だ。
そんな思いが頭をよぎった。
8月4日に日向市で開催された「日向ひょっとこ夏まつり」を本日UP。
日向のひょっとこ祭りは年々盛んになって全国各地からの参加者が増えている。
トロッコで川下りができるのが高千穂鉄道だ…(2007.08.14)

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| 日向ひょっとこ夏祭り |
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■ 宮崎県庁 (雑記帳 file no.18)
8月13日の人出は5080人、14日は5550人、15日は5278人。
夏休み前は1日約500人だったのが7月末ごろから1千人前後に増え、その後さらに加速したらしい。
警備員は「こんなに多くの人が訪れるなんて」と驚いているとか。
敷地内にできたカフェには行列ができているらしい。
物産館は毎日1千人を越す客が訪れて13日の売り上げは530万円だったそうだ。
東国原知事の誕生以来県庁が観光スポットになって、そのお陰で宮崎の物産がよく売れていると聞く。
喜ばしいこと。
だが人気に肖るだけの商品が横行しないように祈りたい。
『本日の独り言』
一時の騒ぎにとどまらず、落ち着いた息の長い、あくまで「宮崎」の人気であってほしいな…
(2007.08.16) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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■ 猪八重渓谷 (雑記帳 file no.19)
8月19日の7時前に高岡から田野に向かう道(県道24号?)で5~6頭の野生猿に遭遇した。
やはりここでも里山が廃れているのかと思いながら通過した。
道々、花が綺麗に咲いていた。
今年最初のパンパスグラスも見た。
お盆過ぎになると、それまでは周辺の雑草の中で地味に息を潜めていたものがいきなり存在を誇示するパンパスグラス。
春の桜とは比較できないにしても、確実に秋の到来を知らせてくれて、妙に「一年」を感じさせる。
田野IC入口を通過すると広く快適な山道(県道28号線)が北郷まで続いている。
バイクも軽やかに山道を登って行く。
そして飫肥杉が綺麗に植林されたなだらかな山並みを見ながら北郷へと降りて行く。
猪八重渓谷を訪れた。
目指しているという「森林セラピー基地」なるものを見聞したいと前々から考えていた。
五重の滝まで往復約5kmの森林浴を3時間かけて楽しんだ。
コケの宝庫だと入口の石碑が語る。
コケに注目することなど、この猪八重渓谷を歩くとき以外にはないと思い、できるだけコケを見て歩くことにした。
勿論、過去に渓谷の類を歩いたときにコケに注意をしたことがないので、ここのコケが多いとか少ないとかの感想も持ちにくいながら、でも、とにかく見て歩いた。
そして率直に美しいコケが多いと感じた。
五重の滝は美しい。
しかし残念なことには写真映りが良くない。
人間の場合は、眼が捉えたいくつかの画像を脳が便利に修正して、そのものが持つ本来の姿を焼き付ける作業を一瞬にしてやってしまうが、カメラはその点は素っ気無い。
自然はありのままに鑑賞するのが良いに決まっている。
しかし、五重の滝は写真映りが良くない。
化粧ではなく髪をカットするくらいは許されないのか。
帰り道の中ほどで渓谷に架かる橋を男性が渡るのが遠目に見えた。
橋を右岸から左岸に渡っていたのでちょっと歩けば擦れ違う。
ところが、もうその橋の近くまで歩いて行って迫っているというのにその男性とすれ違わない。
最近宮崎の民話で狐の話を何遍か読んだ。
今この時期にあらためてその類の民話に接してみると、結構身近な所にリアルな狐や狸の人間との関わりがあって面白い。
そんな予備的な意識があって、鬱蒼とした森林の渓谷を歩く中で「とうとう俺も狐の化かしを体験するのか、どれどれ…」とわくわくしながら橋の傍までくると、その男性は橋を渡りきった窪地で木を見上げていた。
男性の横を通るとき彼が見上げている木を横目で見やったが、特別立ち止まって鑑賞するほどの木には見えなかった。
『本日の独り言』
な~んだ、やはり狐の化かしは民話の世界か…
いやいや、実は男性は狐がすでに化けていて、遭遇したら騙そうとしたけど近づいて観察したら騙しても面白くなさそうだったからやめた。
騙してくれていたら新しい狐の民話「猪八重の狐話」になったものを…
(2007.08.20 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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| パンパスグラス |
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| 花と蜂 |
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| 花と蜂 |
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| 猪八重渓谷の石碑 |
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| 五重の滝 |
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■ 無題 (雑記帳 file no.20)
赤道に近くて暑い国に辛い香辛料を多く使う料理の文化がある。
日本の夏に辛い食べ物を食べる習慣はあまりなさそうだが、暑い夏に熱い火を使う習慣はあるように思う。
お盆の迎え火、送り火。
家庭でする花火や大規模な花火大会は圧倒的に夏の歳時。
火照った体で夜になればキャンプファイヤーもする。
加えて、宮崎の夏は日向市のひょっとこ(火男)祭りに、都井のその名もそのもの「火まつり」があって二つの祭りは火に因む。
一方で高千穂峡は特に夏場に観光客が涼を求めて多い。
滝の飛沫を浴びてボートを漕げば涼味は満点。
鹿川渓谷の天然のウォータースライダーは今年も子供たちの歓声があがったことだろう。
猪八重渓谷に棲む狐は今頃は巣に戻って家族で団欒か。
達者で暮らして欲しい。
「猪八重渓谷」を本日UPする。
来年の春に宮崎で三番目の「森林セラピー基地」に認定されることを祈る。
宮崎の夏は海洋性気候のせいで比較的過ごし安いがそれでも今年の夏は暑かった。
御田際にはじまった宮崎の夏を都井岬の「火まつり」で終わるとしよう…。
(2007.08.21) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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■ 都井の火祭り (雑記帳 file no.21)
2007.08.25 15:00
大雨洪水注意報が出ている中、バイクで都井の火祭りに行った。
高気圧に蔽われているけど大気が不安定なため一時的に大雨が降るかも知れない、そんな感じの予報で、しばらく考えて、「これは大丈夫」と踏んで片道180km先の都井岬に向かった。
宮崎地方の上空はそれほどでもなかったが、都城方面は入道雲が高く昇っていた。
途中、県道28号線の北郷町の山の中では通過の直前に夕立が降ったと見られ、道路が十分に濡れていた。
しかし今回は運良く「自分予報」が当たって雨に遭わず目的地に着いた。
都井岬は太平洋側に位置しているのに夕日が海に沈みそうな光景を見た。
海の正体は西岸までの距離が30kmある志布志湾だった。
都井の火祭りを見た。
土地に残る臼太鼓踊りも見た。
臼太鼓踊りは「ようこそ宮崎」の次のテーマの一つとして考えているので興味深く観た。
串間の臼太鼓踊りは心を捉えた。
(2007.08.26) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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■ 夢見橋 (雑記帳 file no.22)
日南市の堀川運河に架かる「夢見橋」が完成して5000人が渡り初めをした。
樹齢1200年の飫肥杉30本を用い、金具を一切使わないで組み上げた、屋根付き木橋。
木橋は長さ45.8m、幅3.6mの人道橋。
(2007.08.27) |
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■ 宮崎の民話 1 (雑記帳 file no.23)
中村地平が著した「日向民話集」がある。
中に「和泉式部物語」があって、平安時代に紫式部、赤染衛門、清少納言、伊勢大輔、とならんで五賢女とうたわれた歌人の泉式部の説話をとりあげている。
あらすじはこうなっている。
和泉式部は人が嫌がる業病にかかり、色々な治療をしたが治らなかった。
ある夜、夢で仏のお告げがあって、日本三薬師にお参りをすれば治るという。
これから先は二節あるがその一節。
式部は二薬師のお参りを済ませて最後に日向の(現在の国富町)法華嶽寺に篭って病平癒の祈願をした。
しかし病気は治らずとうとう式部は崖から身を投げる。
すると異形の人が現れて呪文を唱えると病気は跡形もなく消え去って、もとの美しい姿になった式部は京に上ったという。
式部の死地は明らかではないが、墓は京都の誓願寺にあって、他に東北と宮崎県西都市の鹿野田の式部塚がある。
式部は西都市の鹿野田で急病のため43才で死んだと伝えられている。
というものである。
朝日新聞がシリーズで書いている「子供たちに残したい 私のふるさと」があって、その(87)「鹿野田神社の井戸」が中村地平の「日向民話集」の「和泉式部物語」を補完する上で、さらに宮崎の神話との関連で興味深く読んだ。
鹿野田神社は飫肥藩主伊東家ゆかりの都於郡城址との中間地点にあった。
またここは熊襲を征伐するために、景行天皇が6年の間滞在した(日本書紀)という日向高屋宮にも近く、その点においても興味を惹いた。
以下、記事から紹介する。
井戸は、海につながっているー。
そんなイメージを抱かせる民話が、いくつも残る。
《村人が馬に乗ってこの井戸を渡ろうとしたら、突然落ち込んだ。慌てた村人たちが探しても見つけられない。もしやと思い浜辺を探したら、人馬が出てきた》
《井戸に落ちた牛が、鬼の洗濯岩がある宮崎市の青島近くの海で見つかった》
祭神は神話「海幸山幸」に登場するヒコホホデミノミコト(山幸彦)。
山幸彦が海神から二つの宝玉を授かり。兄、海幸彦を懲らしめたとの神話だ。
「潮満玉(しおみつたま)・潮涸玉(しおひるたま)」がご神体としてまつられているという。
井戸の名前も「潮満玉の泉」。
そして井戸には《山幸彦と結婚した海神の娘、豊玉姫が会うために、陸と海とを行き来した道》との言い伝えが残る。
以上
井戸は狭い境内の、道路に面した小さな建屋の中にあり、建屋の周辺の地盤と同じ高さから、短いひしゃくで腕を伸ばさないで汲むことができる高さにあった。
飲んでみた。
海の水より少し塩度は低いように感じたが、海水の濃度にかなり近い。
5mほど隔てた所に立つ、推定樹齢450年、目通り幹周り7.5mの御神木のクスノキの根はこの塩の水を毎日汲み上げて、幹や枝や葉に送り続けているのかいないのか。
和泉式部については、鹿野田神社の「鹿野田神社と潮満の泉について」で、こう書いている。
平安時代の女流歌人和泉式部は八代(現在の国富町)の法華嶽薬師に参籠した後、帰京の途中再び病となり鹿野田氷室の里までたどりつきこの潮満の泉での湯治をと思ったのか、近くの薬師堂に籠もり読経三昧の日を送り、遂にこの地で四十三才の生涯を終わったと伝えられています。
「日隠れや氷室の里を眺むれば藻潮の烟(けむり)いつも絶えせぬ」 。
これは和泉式部の歌といわれ、近くに籠もった薬師堂と式部の墓があり、里人によって祀られといます。
日向(宮崎)の民話は大きなテーマ…
(2007.08.27) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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| 鹿野田神社 |
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| 鹿野田神社の社 |
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| 潮満玉の泉 |
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| 伝承地 和泉式部の墓 |
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「全国一斉マイホームグラウンド(HG)勝手にゴミ拾い」
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| ’07年9月30日(日曜日)に決定しました。 |
当日参加できない方の為に'07年9月22日(土)~10月7日(日)まで期間を設けます。
尚「勝手にゴミ拾い」ですから上記以外で皆さんの都合の良い日でも構いません。 |
ゴミのせいで折角の景観も気分も台無しになった経験が有ると思います。
一部の心無い人達に依り残された渓流のゴミ、何もしなければこのゴミが自然に消滅する事は有りません。
行政や漁協と交渉するのは大変ですし面倒ですが自分の好きな渓のゴミを勝手に拾う事は誰にでも出来ます。
しかしはなかなか拾えそうで拾えないのも現実です。
そこでNetを通じて皆で全国一斉に同じ日に拾おうと言う企画をしました。
人が捨てたゴミと言わず例え一つでも拾って何時も遊ばせてもらっている渓に恩返しをしてみませんか?
場所は問いません、あなたのお好きな渓で一人でも良しお仲間を誘っても良し。
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「源流親爺の釣り日記」クラ親爺(群馬)さんの企画に賛同します。
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■ 「北川の鮎掛け」 その1 (雑記帳 file no.24)
Oさんという知人がいる。
1950年辺りの生まれだと思う。
数年前営業で私のところに見えたときに、四方山話の中で彼が鮎の伝統的な漁法をしていて、この地方では彼と彼の父親だけしかやっていない、と話したのを記憶していた。
一月ほど前に彼の弟さんがひょっこりやってきた。
一年ほど前からOさんの鮎の漁法を見たくて機会を待っていたので、これ幸いと、弟さんに頼み込んだ。
それから何の音沙汰もないので、面倒だから関わりたくないのかも知れないと、半ば諦めていたら昨日の夕方に来てくれた。
その仕掛けから鮎の生態まで約90分、機関銃のように話してくれた。
鮎に対する愛情と知識がいっぱいのようだった。
私の目的が「五ヶ瀬川と鮎漁」であることを聞くと「私は北川ですけどいいですか」と言うので、「北川は五ヶ瀬川水系になっていますから大丈夫です。是非聞かせてくれませんか」とお願いをして話を始めて貰った。
最近の鮎は鯵やら鰯んごつ群れで泳いじょって縄張りを持たんとですよ」
「じゃから「友釣り」も掛からんですわ」
「海かい遡上して川で珪藻を食べて育った鮎は匂いを嗅いでん鮎独特の香りがすっとですが、そうじゃない鮎は匂いもせんし縄張りも作らん」
「三月ん河口に近い海で獲って県の水産試験場でしばらく太らせたのを各漁協が買うて川に放流すっとですけんどん、ほんとはその間に川を昇って珪藻を喰って縄張りなんかも作りながら鮎らしくなるっちゃけど、その大事な間に人間がやる餌を喰って育つもんじゃから鮎の性格が育たんとですわ」
「川を昇って育った鮎は全体の1割以下でしょうかね」
「そん鮎は「キンキン」と言うっちゃけど、自分の縄張りに他ん奴が入ってきたら背ビレをピーンと立てて凄っいスピードで追っ払いますよ。
それが綺麗な黄色をしちょって、追っ払って行くときは筋肉が張っているんでしょうかね、針が掛からんで体を滑るんですわ」
「狙いは追って行っての帰りのときの気が緩んだときがいいんですわ」
「それも一回は見逃してやっとですわ」
「竿を流竹ぐらいに見せておいてさらに気が緩んだ瞬間を狙うんですわ」
「僕は右からくる奴は苦手で左からくる奴が確立が高いですね」
「右利きじゃかい右かいくる奴は竿が邪魔して見えにくいかいでしょうね」
「竿は先の竿と手元の竿とあってですよ、それを鍛冶屋で作って貰った鉄の棒で繋ぐんですわ」
「先の竿は1メートルくらいで先を少し曲げるんですわ」
「そしてビニールの筒を用意して片方にネジを切ってキャップが出来るようするんですわ」
「ビニールパイプに水と竿を入れてキャップをして密閉して1年から2年置きますね」
「密閉すると空気が入らんから水が腐らんとですよ」
「水に長く浸けるすぎると逆に竹が脆くなるんですわ」
「そんげして作った竿なら鮎は流竹ぐらいにしか思わんで、それが青竹なんかじゃったらびっくりして警戒しますもんね」
Oさんが仕掛けの絵を描いてくれた。
耳川でやっている「チョンガケ」に近い仕掛けだと思い口に出した。
「うん、チョンガケと言うんですよ」
「じゃけんどん本当は「アユカケ」ですわ。親父なんかもそう言いよったです」
ただ、耳川で見て実際に自分でもやってみた、そして1尾だけ引っ掛けたあの仕掛けとは違う。
Oさんは、「最近は北川でもいるんですわ」
「針が二股に分かれちょって、短い竿の先に引っ掛けて、潜っちょってやたらめったら引っ掻き回しちょる」
「鮎とは遣り取りを楽しまないかん。網で獲る奴もおるけんどん、一網打尽はいかんですわ」
「鮎は獲っても育てないかんとですよ」
「北川もダムがある方の川はダム底からヘドロが流れてくるから水が濁っっちょるですもんね」
「ダムがない方の川は澄んじょって、潜ると気持ちいいして何もかも忘れらるっですもんね」
「北川ん鮎はあんまり大きくないってすよ」
「そのてん五ヶ瀬川ん鮎はおっきいですよ。僕は北川で28センチが最高じゃけど五ヶ瀬川のはおっきいですよ」
「八戸の鮎は特に大きい」
「やっぱ、五ヶ瀬川は餌があるってしょうね。コケがいいってしょう」
(2007.08.28) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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■ 「北川の鮎掛け」 その2 (雑記帳 file no.25)
五ヶ瀬川は延岡市の吉野町で大瀬川と分かれ、そして方財の手前で合流して、その間に小さな二つの山を取り込んで三角州を形成し、そこが延岡市の中心地となる。
方財は昔は孤立した島であったものが五ヶ瀬川が運ぶ土砂を周囲に集めて陸続きになったし、陸に囲まれた島みたいになった。
とくに北の対岸は北川と祝子川と五ヶ瀬川が運ぶ土砂で埋め尽くされた広大な三角州になっている。
遡ると、北川は河口から大分県に向かって北上して国道10号線と日豊本線がそれに沿うように走る。
そして旧北川町の役場の近くで小川が北川に合流する。
本流の北川の大分県に入った所に「北川ダム」があり、支流の小川にはダムがない。
Oさんはダムがある方の本流は水が濁っていて「アユカケ」がし辛いと言う。
一方の小川に潜ると「気持ちいい」と言って、ダムは魚を守るためにはあってはならないと言う。
台風の後に川底の石が土に蔽われると餌のコケが死ぬ。それでも自然の川の回復力でまた土が再び洗い流されてコケが生える。
ところが、ダムがあるところは回復力が弱いと言う。
五ヶ瀬川水系のもう一つの川、祝子川は大崩山(1643m)の北に発し可愛岳(728m)直下西側を通って流れて、河口までは25km程度の短い川。
初めてホオリガワが祝子川と書くことを知ったときに首を捻ったが、それは日月を隔ててある日自分なりに腑に落ちる。
旧北方町の速日の峰と邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)の伝承のように、祝子(ホオリ)川とホオリ(火折命)は、何か関連する伝承があるのではないか。
探してみたら、小中合わせて生徒数が2名の祝子川小中学校のHPに期待したものがあった。
ホオリ(火折命)は別名が多すぎて混乱してしまうが山幸彦のことで、天孫瓊々杵尊(ニニギノミコト)と木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の間に生まれた三男。
瓊々杵尊は結婚した翌日に木花開耶姫から「あなたの子供が生まれるからすぐに産屋を用意してください」と言われて、自分の子ではないの
じゃないかと妻を疑う。
木花開耶姫は怒って、自分の身の潔白を証明するために産屋の入口を塞いで火をつけて出産する。
二人の間にできた三男の名前は、ホデリ(火照命)、ホスセリ(火須勢理命)の次に産屋の火が収まりかけたときに生まれたのでホオリ(火折命)となった。
祝子川小中学校のHPは、祝子川の名前の由来の一つとして、そのホオリをこの川の水を産湯にしてその誕生を祝ったという伝説があることを紹介している。
(2007.08.29) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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■ 「北川の鮎掛け」 その3 (雑記帳 file no.26)
祝子川の中流域を少し下ったところの「浜砂」集落から直線で約3kmのところに標高728mの可愛岳(えのだけ)がある。
「鹿川渓谷のページ」でも紹介したように、祖母傾国定公園の中の行縢山脈の東の端の山になる。
大崩山と同じ時期にできたこの山脈の可愛岳と行縢山の間を通り抜けて下るこの祝子川は、同じ祖母傾国定公園の中にある(鹿川渓谷を有する)綱ノ瀬川と同様に水は極めて澄んでいて、祝子川渓谷の景色もまた素晴らしい。
可愛岳はそれほどポピュラーな山ではないと思うがただ一点注目すべき点は、ホオリ(火折命)の父親である天孫瓊々杵尊(ニニギノミコト)の埋葬地であること。
明治政府は学者や宮内庁の調査をもとに明治29年に宮崎県東臼杵郡北川町の可愛岳(えのだけ)山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」と定めている。
つまり、瓊々杵尊の埋葬地は可愛岳(えのだけ)にある古墳であるという結論をだしている。
さらには、可愛岳そのものが瓊々杵尊の神陵であるという伝承もある。
(2007.08.30) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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■ 「北川の鮎掛け」 その4 (雑記帳 file no.27)
Oさんの話に戻るまえに、五ヶ瀬川の名前の由来についての独り言を言おう。
五ヶ瀬川の名前の由来は、吐ノ瀬・窓ノ瀬・あららぎノ瀬・網ノ瀬・大瀬の五つの瀬があるから付いた名前だという説の方が認知されているのかも知れないがこの「五つの瀬」の説には与したくない。
何故なら、「瀬」とは、川の流れのなかで水深が浅くなっていて歩いて渡ることが出来るようなところをいうが、五ヶ瀬川にはそのような瀬は六も七つもそれ以上もあるはずで、五つに限定するのはいかにも後付け由来にみえて根拠が薄い。
それよりホオリ(祝子)川と同じように五瀬命(イツセノミコト)と関連した伝承の方が説得力があるし、何より「ようこそ宮崎」的であると思う。
五ヶ瀬川の由来は、五瀬命が命名したか五瀬命に因んで命名したかのどちらかであると考えたい。
高千穂地方には、長男の五瀬命から四男の神武天皇までの四人の皇子が生誕した場所である四皇子峰(しおうじがみね)の伝承地や、五瀬命が五ヶ瀬川に自ら臣下を遣わした五大水神の伝承や、そもそもこの地方では神武天皇が東征に出発するまでは高千穂にその宮居があったと伝えらているし、東征に参加した三男の三毛入野命(ミケイリヌノミコト)は途中で高千穂に帰ってきて鬼八という妖怪を退治してその子孫が代々後の高千穂地方を治めたという伝承があり、垂仁天皇の時代に創建されたと伝えられる高千穂神社はその三毛入野命を主祭神として祀っている神社である等々、五瀬命をはじめとする四皇子に関する伝承は他にもあって、この地方は四皇子とは繋がりが深い。
高天原と日向三代から神武にかけての天と地に及ぶ神話の舞台としての伝承が数多く残るこの神々の里高千穂地方から流れ出る神聖な川五ヶ瀬川は、五瀬命が命名したか五瀬命に因んで命名したかのどちらかであるという説の方が肯ける。
(2007.09.01) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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■ 椎葉の巨樹 (雑記帳 file no.28)
8月29日は巨樹を見に椎葉に行った。
「ようこそ宮崎」のためとしては二度目の訪問だった。
暑い日が続いていたから日が昇るとすぐ気温が上昇して、バイクであっても半袖で大丈夫と高を括って出発したが、諸塚辺りで寒さに耐え切れなくなって長袖を重ねた。
八村(やむら)スギは二度目だったが、前回は物見遊山そのものであったから、今回は丁寧に観察した。
大久保のヒノキは初めて観た。
大久保のヒノキは人の手を掛けずに自然のままに成長していつしか国の天然記念物になっていた、というような、枝(枝幹)が野放図に伸びて広がって威厳がある。
推定樹齢は800年。幹周り9.3m、樹高32m、南北に30mの広がりを持つ。
ヒノキの場所まで辿る小道の下は深い谷底になっていたが、山の斜面のイロハモミジと思われる木がもう紅葉をはじめていた。
椎葉は日向市から国道327号線をつかって約2時間を要する。
延岡市から高千穂が約1時間だから2倍も時間がかかる。
とくに諸塚を過ぎると離合も儘ならない狭い道が続き、その点では今なお秘境と言っていい。
九州大学の演習林を見たかったが帰りの時間を気にして次回に譲った。
(2007.09.02) 雑記帳・profile のTOPへ戻る
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| 国指定天然記念物 大久保のヒノキ |
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■ 祝子川小中学校閉校 (雑記帳 file no.29)
祝子川小中学校は平成15年3月31日に閉校となっていた。
学校の玄関の前には「思い出の碑」が立っていた。
明治10年に創立したこの学校の長い歴史が平成の時代になって閉じた。
地域の人々や卒業生の思いは如何ばかりか。
祝子川は鹿狩瀬辺りから視界が狭まりはじめて、桑平に至ると急に両脇に山が迫る。行縢山と可愛岳の山裾の間は僅か50メートル程度しかなく、そこを祝子川が流れている。二つの山の尾根は頂からなだらかに祝子川に降り付いているが、はやりここは同じ行縢山脈に属する比叡山と矢筈岳の合間の綱ノ瀬川と同じ構造になっていて、そういう意味においてここでも川の流れの成立について漠然と考える。
「ここしか川の水の流れる道はない」というような山間(あい)が上流の大崩山まで続いて、諸塚ー椎葉間と同じような、車の離合が面倒な道が祝子川に沿っている。
中流域になると、山から切り出したばかりのような巨大な石が川幅いっぱい埋め尽くしている光景に出遭う。それはまるで巨石が流れる川の様相になっている。
上祝子に近年「祝子川温泉美人の湯」ができたが、その少し手前に閉校になった祝子川小中学校がある。
校舎の前は祝子川渓谷になっている。
中流域の川の(底とは言い難いくらいに石が川から突出しているから川底とは言わない)石はゴツゴツ尖ったものが多いが、ここは長い年月をかけた水の流れで丸く柔らかい形状となった巨岩が居並ぶ美しい渓谷で、流失した遊歩道沿いに渓谷の岩を登ったり降りたりしながらカメラを構えるが、美しい被写体を前に果たしてどう撮ったらいいものかと躊躇してしまう。
美人の湯の誘惑を振り切ってさらに上流を目指す。
道は大崩山の登山道の案内看板の辺りで通行止めになっていた。
下車して歩いてみると祝子川を左岸から右岸に渡る橋が無惨に流されていた。
流された橋のすご近くにはさらに美しい岩石と滝があった。
祝子川はここでも標高1643mの大崩山と1401mの木山内岳の頂の間の僅か2kmの間を流路としている。
大崩山は、木山内岳をはじめとする周囲の山々が涼しい顔でいるなか独りムクムクと水蒸気を巻き上げていて意気盛んで、とうとう最後までその頂を見せてはくれなかった。
写真は綺麗に撮れているようだが、さて祝子川(渓谷)をどう掲載すればいいやら…
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| 祝子川小中学校跡に建つ「思い出の碑」 祝子川小中学校 |
(2007.09.03) 雑記帳・profile のTOPへ戻る |
■ 木花開耶姫が生還した (雑記帳 file no.30)
2007.07.10に高千穂町にあった木花開耶姫の銅像が盗難にあったことを書いた。
銅像があった場所は昔井戸があったところで、銅像は盗難にあったのではなくて井戸の中に落ちたというのが真実だったらしい。
大雨の日に銅像は井戸の底に落ちたらしい。
銅像を建てるのだから、井戸の跡だからとくに土を入れて締め固めていたに違いないが、銅像の下の土砂が大雨で流されて落ちた。
そういえば銅像は大きな石の上に乗っていた。
大雨の最中に大きな音が聞こえたらしいがまさか石もろとも井戸の中に落ちたとは誰も考えなかったようだ。
ともあれ盗難ではなくて良かった。
またあの麗しい木花開耶姫の姿が見られる。
思い込みのままに人様を中傷したあとで誤解であったことがわかったときのような軽い罪悪感を覚えた。
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宮崎の小さい秋を見つけた…
2007.09.04  |
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■ 「北川の鮎掛け」 その5 (雑記帳 file no.31)
Oさんの話の続きに戻ろう。
竿は二つに分かれていて先の竿は長さが1メートルくらいで1~2年密封した水に浸けて鮎が騙されるようにアクを抜く。
手元の竿は川の深さによって使い分けをするらしく2mとか3mで、これは鮎には近寄らないからアク抜きはしない。
その二本の竿を鍛冶屋で特注して作ってもらった鉄の棒で繋ぐ。
鉄の棒は70センチくらいの長さで両端が細くなっていて両方の竿に刺して繋ぐ。
鉄の棒は単にジョイント金具の目的のためではなくて、鮎を狙うときに竿の先を水中に沈める錘の役目もある。
「アユカケ」に使うハリは「鮎かけハリ15~16号」。
それを元細りの竹楊枝にテグスで固定して、元が細った竹楊枝は竿の先に刺す。
鮎を掛けたら「ハリと竹楊枝」が竿の先から抜けて鮎に追随することになるが、「ハリと竹楊枝」を竿に繋ぎとめておく仕掛けをする。
アユカケは川の中に立ってする場合と船からする場合がある。
県立博物館に船でアユカケをしている実物大の模型が展示されていて、たまたまその写真を撮っていたのでそれを見てもらった。
艫(船尾)に川石を入れて沈め、顔が水面すれすれになるようにする。
そこで自作の箱メガネで水中を見て鮎とのやりとりの後、首尾よく仕留めた鮎は箱メガネを取り敢えずの魚籠(びく)の代用として使いながら次なる動作に続いていく。
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碇を繋いでいるロープは足に括りつける。
そして水中を覗きながらロープを引っ張ったり緩めたりして操船する。
ロープを引っ張ると艫は右に動く。緩めると船はその反対の動きをする。
活発に泳ぎ回る鮎を碇に繋ぐロープを使って追う。
そんな高等技術もあるとか。
この模型はOさんの言うように艫が沈んでいないからアユカケが窮屈そうに
見える。
Oさんの都合のいいときにアユカケに連れていってもらうことにした。
この模型の写真が本物の人間の写真になるのはいつかなあ…
2007.09.05 雑記帳・profile のTOPへ戻る |
■ ゴーヤとニガウリ(苦瓜) (雑記帳 file no.32)
ゴーヤーとは、沖縄の方言で「ニガウリ」の事です。
ゴーヤはウリ科の1年生ツル草で、正式和名は「ツルレイシ」。本州などでは「ニガウリ」とも呼ばれています。
ゴーヤーとは、キュウリなどと同じウリ科の植物で、苦味があるため、にがうりとも言われています。
やはりゴーヤとニガウリは同じものだった。
ある食事の店のオーナーが「ゴーヤは宮崎県の生産高が全国一なのでゴーヤのオリジナル料理を開発したい」という。
生産量は1位かも知れない。しかしゴーヤとニガウリが疑問だった。
宮崎においてはかってニガウリと言っていたものがいつのまにかゴーヤと呼び名が変わってしまった、と思っていたからこの際いくつかHPを覗いて確かめてみたら、ゴーヤは沖縄の方言で、全国的にはニガウリが本当のようだ。
ただし、「ちゅらさん」の影響なのかどうかはよく分からないが、今は全国的にゴーヤのほうが通りがいいように思う。
ふるさとの幸をいただきま~すは『宮崎県のゴーヤの平成16年の生産量は全国2位』
沖縄タイムスは『2005年度の収穫量は8660トンで全国1位。東京中央卸売市場での2005年度の取り扱い実績によると、沖縄は数量では1位だが、占有率は宮崎県とほぼ並ぶ25%にすぎない』
『最近宮崎県に押されて、いつの間にか、ゴーヤーの本場のはずが、チャンピオンの座を奪われかねない情勢のようだ。
何しろ向こうは東国原知事のアピール度がすごい。元もと宮崎産はゴーヤーではなくて、ニガウリのはずだが・・・』と、あるブログ。
みやざきブランド推進本部:ブランド情報室は『ゴーヤは、健康野菜として近年需要が伸びており、今年の宮崎県の作付面積は125ha、販売量3,400tを予定しており、前年の30%増となっている』
生産量はすでに宮崎が全国1位なのかも知れない。
それはそれとして、このゴーヤの性能には驚くものがある。
列挙してみると。
①ゴーヤの苦味は、果皮に含まれるモモルデシンとい成分で、血糖値や血圧を下げる効果のあることがわかってきた。
②食欲増進作用や整腸作用のあることが認められている。
③ゴーヤ100g中には、ビタミンCがレモンの2~3倍、キャベツの約4倍に相当する120mgが含まれている。
④通常ビタミンCは加熱すると壊れてしまうが、ゴーヤのビタミンCは、加熱してもほとんど壊れず残っているので、夏に汗で体外に出され不足しがちなビタミンCの補給には適していて、紫外線によるシミ・ソバカスなどの予防にもなる。
⑤β-カロチンやビタミンB1、またカリウム、リン、鉄分などミネラル類も豊富。
⑥体のむくみをとり、疲労を回復してくれるため、夏バテ防止に大いに役立つ。
ニガウリチャンプルは宮崎の郷土料理だと言っていい。
宮崎の生産量が全国1位だと聞いたゴーヤについて一寸考えてみた。
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ゴーヤに似て青く長い実が成るヘチマの花。
椎葉の地で綺麗に咲いていました。
ゴーヤにもこんなに綺麗な花が咲くのかな…
2007.09.06 雑記帳・profile のTOPへ戻る |
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■ コブトリソウ (雑記帳 file no.33)
仕事で訪問したお宅の前の畑に真っ黄色のコブトリソウが満開だった。
思わずカメラを取り出して車を降りたら農家の女性がコブトリソウの根元で除草の最中だった。
挨拶をして写真を撮る了解をとった。
無農薬栽培や有機栽培での土壌つくりの堆肥として使うために植えられるようになったコブトリソウは、「根こぶ線虫」という土壌の中に住む害虫の駆除にも有用なため、野菜や果物を作付けする間の時期に植えられる。
本来、土壌つくりのためには花がつく前に青田刈りをするのがいいらしいが、この畑は満開
だった。
コブトリソウは「こぶとりじいさん」の瘤取り草?
このあと大根を植えるのかな…
2007.09.07 雑記帳・profile のTOPへ戻る |
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■ 宮崎の民話 2 (雑記帳 file no.34)
おせりの滝の竜神伝説
昔むかしのあるとき、「おんださん」の祭りに、それはそれは美しい三人の姉妹がどこからともなくやってきて祭りの手伝いをするようになりました。
あまりに美しい三人の姉妹は村中の若者の心を虜にしました。
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