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| 神楽当日の銀鏡神社の拝殿 |
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外神屋の注連(しめ)飾りは本体のシメ(銀鏡特有の漢字を用いています)を中心に横二間枝葉の繁った椎の木を山形に立て並べ上段より五段にそれぞれ格式通りの本数の御幣を差します。
これを山と呼んでいます。
山にそそり立つシメに天照大神を始め天神地神を勧請してその前面に柵を付け献饌をします。
写真では分かりにくいのですが、シメの下には(一週間以内に獲れた)猪(オニエといいます)の頭八つ、餅、米、酒などが献饌され、その両脇を式二十番、二十一番で登場する綱(藁蛇)が固めます。
神楽を舞い始める時と舞い納める時、神前に向かって左の位置で舞う舞を先地(せんじ)、右の位置で舞う舞いを後地(ごんじ)といいます。
又、すべての神楽が前半と後半に分かれていて、笛や太鼓のお囃子の調子も異なります。
前半を上(かみ)の地、後半を下(しも)の地といいます。 |
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| 式二番 清山 |
この神楽は外神屋(そとごうや)を清め、神々の御降臨をしていただくことに感謝して舞う神楽です。
この神楽は神聖なる神屋の清浄を願い三十三番の神楽が清く正しく奉納できるように祈りを込めて舞うものです。
装束は烏帽子をかぶり狩衣を着て左手に御幣、右手に鈴をもち、優雅に舞う二人舞です。 |
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| 式三番 花の舞(結界) |
烏帽子をかぶり素襖(麻の単仕立て)に白袴を着て背中に小幣(腰幣)を十文字に差して、右手に鈴、左手に扇子を持って舞う(原則)四人舞です。
結界とも言われて、小中学生の年少者によって舞われます。
以前(昭和47年まで)、花の舞の一部は少女四人の浦安の舞にしており、大太鼓の伴奏で越天楽(えてんらく)を歌っていました。 |
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| 式四番 地割 |
四人舞で装束は白衣、白袴、左手に羽笠(はがさ)、赤だすき、太刀をもち、右手には鈴をもって舞います。
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| 式四番 地割 |
「みだれ」では、神楽歌をうたいながら赤だすきをかけ、羽笠をかぶり、刀を抜き左手に刀、右手に鈴をもって活発な動作で舞います。
この神楽は地(とこ)鎮めの神楽になります。 |
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| 式五番 鵜戸神楽 |
二人舞で、右手に鈴、左手に扇子、背中に御幣を十文字に差し頭に「ツマドリ」をつけて舞います。
浜砂淡路守重賢という人物(後に銀鏡神社の社掌になる)が天和年間鵜戸山道場別当職をつとめていたときに習得した神楽を銀鏡神社の神楽に織り込んだものと言われています。
式六番の鵜戸鬼神とともに鵜戸門流の神楽と言い伝えられています。
式五番は次の鵜戸鬼神の地舞であり、この式五番の途中で鵜戸鬼神が御下りします。 |
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| 式六番 鵜戸鬼神 |
鬼面を被り、頭に羽笠(はがさ)、腰に刀を差し、右手に面棒左手に数枚の榊葉と着物の袖を握り、静かに舞い始めます。
右足から三足舞い上がり、そのままの姿勢で三足軽く後方に飛びひざり、またもとの様式で舞いはじめます。
この飛びひざるところが他の神面の舞(降居(おりい)神楽)と異なるところです。
途中で面棒を立てて左手に握っている榊葉を後方に捨てる動作がありますが、これは柴手水(しばちょうず)を使うと言います。
次におごそかな動作で神楽歌をうたいながら舞います。そして地舞の祝子(ほおり)と向き合って舞う場面がありますが、これは神と人との舞い遊びという感じのものです。
式六番 鵜戸鬼神ではじめて神面降居(しんめんおりい)の神楽になりますが、神面降居の舞にあたっては、神面をつけるときに必ず神面を礼拝して、両手に持ち、御面の正面を見つめて一拝してから被るのが作法となっています。 |
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| 式七番 幣指 |
二人舞で、頭に「ツマドリ」をつけて素襖を着て腰に小幣二本を交差して差します。
左手に扇、右手に鈴をもって、全体に活発な舞ですが、特に後地(ごんじ)ななると動きが激しくなって腰に差している小幣を抜いて手にもって舞います。
つづいて「みだれ」になると、益々活発で軽快な舞となって見物客に受ける神楽舞です。
神屋(こうや)の四方に幣を差して舞うので「幣指」といい、次の西之宮大明神の降居(おりい)神楽の地舞になっています。 |
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| 式八番 西之宮大明神 |
この神楽は銀鏡神社の御主神である西之宮大明神の神楽で、宮司が御神面を被って舞い、宮司以外には舞うことができない神楽です。
頭には鳳凰の飾りをつけた金箔の天冠を冠り、赤の千早(ちはや)に金襴の上千早と袴を着し、黒鞘の太刀を帯び、腰の後ろに幣のついた榊を差し、面棒と扇を持って舞います。
大きな動作や激しい動きはなく、太鼓や笛に合わせて静かに重厚に見るからに神のように舞います。
西之宮大明神は他の面様に比べて明らかに重厚で煌びやかです。
法螺貝が鳴ると先払いと塩湯役が登場して外神屋を清めます。
弓矢を持った二人が警護する中、氏子総代などを従えて西之宮大明神は彌宜(ねぎ=神官)に先導されておいり(登場)になります。
人々は手を合わせ主神である西之宮大明神を拝し、賽銭(おひねり)を投げます。
賽銭は天冠の中に入るとよいとされ、子供などはこの時のためにおひねり賽銭を幾つも用意して争うように投げ入れます。
それは正に西之宮大明神が人々の間で長く尊敬と親しみの存在であり続けてきたことを象徴する場面であって、銀鏡の人々は年に一度懐良親王である西之宮大明神と対面して安心の気持ちになってきたのだと感じさせるものです。
この神楽は式六番の鵜戸鬼神の舞の三足飛びひざるところがないのと、最初三足舞い上がった時特殊な面棒の使い方があるところと、及び、神楽が終了するときに神屋の周りにいる氏子達を見つめながら一回りして退場するところなどが鵜戸鬼神と異なるところです。
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| 式九番 住吉 |
四人舞で、装束は幣指と同じで舞方も幣指によく似ていますが、「みだれ」では全く異なる舞方になります。
全体を通じて威勢のいい活発な舞であり、次の式十番 宿神三宝荒神降居神楽の地舞となっています。
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| 宿神三宝荒神 |
銀鏡神社の神主が御神面を被って舞う神楽で、舞い方、神楽歌、装束、採り物と、すべてにわたって西之宮大明神の舞と同じです。
この神は古くは銀鏡神社に西之宮大明神と一緒に祭祀されていたのですが、江戸時代に征矢(そや)抜に奉遷したもので、そのため、「銀鏡神社両神」の呼称があります。
古くから、「両神」の降居神楽がすむまでは神楽囃子をするのは禁忌とされてきました。
この御神面は県指定の重要文化財となっています。 |
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| 式十一番 若男大明神 |
| 御神体の神面を被って舞います。天太玉命(あまのふとたまのみこと)の舞です。 |
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| 式十二番 初三舞(はさんまい) |
素襖を着て羽笠をかぶり、腰に小幣二本を差して、左手に扇子、右手に鈴をもって舞います。
あらゆる神楽の基本となる神楽で、この神楽の習得が他の神楽の上達につながるといわれています。
この神楽は降神行事を意味する神楽であり、式三番の最初に舞う神楽であるので初三舞といいます。 |
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| 式十三番 六社稲荷 |
神主が御神体の神面を被り、頭に毛がしら、腰に刀を差して面棒を持ち、静かに舞いはじめます。
三足後方に飛びひざるところがありませんが、その他は式六番 鵜戸鬼神とまったく同じ舞になっています。 |
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| 式十四番 七社稲荷大明神 |
| 式十三番 六社稲荷とまったく同じ舞いで、七鬼神の首座に坐(ま)す山の神の神楽です。 |
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| 式十五番 神崇(かんし) |
四人舞で、右手に鈴、左手に太刀、頭にツマドリを付け、赤の片たすきで勇壮に舞います。
この神楽の中に「五方立」というのがあり、神主との間に取り交す問答があります。
この神楽は神屋の中央と東西南北を五方を祓い清め、更に中央、東西南北の五方を守護するところの五方神(五行(いつつら)の神)にご守護を祈念する舞です。 |
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| 式十六番 荘厳(そうぐん) |
二人舞で、右手に鈴、左手に弓、背中に矢を二本差して、頭にツマドリ、足に黒の脚絆と白足袋をつけ、十文字の赤だすきで舞います。
はじめから非常に軽快で活発な舞で、古代、世界中の狩猟をする人種に共通して生まれるのではないかと感想を持つような軽やかで激しいステップで舞います。
下の地になると矢を弓につがえて四方に向けて何度も弓を引き絞り、そのたびに今にも矢が飛んでいきそうな激しさで舞い続けます。
この神楽は天照大神の座す宮殿のご門を守護する櫛石(いわ)窓神、豊石窓神の二神が、天照大神の御田を荒らそうとする須佐之男命を弓矢を以って防ぎ、御田を守護される様子をあらわした神楽です。 |
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| 式十七番 柴荒神 |
羽笠を頭に鬼面を被り、腰に刀、背中に幣をつけた榊を差して、面棒と扇子を手に持って怒りの形相で荒々しく舞います。
「はらかき荒神」とも言われるこの神楽の後で、怒り狂った荒神が太鼓に腰を下ろして神主と問答をはじめます。
これを「柴問答荒神」といい、神主は問答で荒神の納得を得て怒りを鎮め、手を引いて退場させて、一差し舞って自らも退場します。
この荒神の舞は宇宙根本神が荒神の姿に示現して、森羅万象の全てが自分のもので、柴(榊)の一本からとて自分の了解なしには自由にしてはならない。と神主と問答するさまを表現した神楽です。
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| 式十八番 一人剣 |
白衣、白袴、ツマドリ、黒脚絆、(腰に)赤だすきをさげて脇差を差して舞う一人舞です。
採り物は、上の地は右手に鈴、左手に扇子を持って舞い、下の地になると鈴と扇子を置いて、腰のたすきをとって四つ折にして右手で摘むようにしてうち振るうように舞います。
次にたすきをほどいて両手で持って交互に振りながら舞います。
次には「小刀使い」になり、両手で小刀の真ん中を逆手に握り、交互に胸の上で十文字に振りかざしながら舞います。
下の地になると始めから終わりまで動きの激しい神楽で、若い祝子でないと舞えない神楽です。
神の恵みによって豊作であることの喜びを表現した神楽です。
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| 式十九番 神和(かんなぎ) |
女性の装束を着て舞う巫女(みこ)の舞です。
女面を被り烏帽子をかぶって五色の幣と扇子をもってゆるやかに舞います。 |
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| 式二十番 綱荒神 |
二人の舞い手が左手に榊、右手に鈴をもって片だすきをかけて舞うと、やがて須佐之男命の御面様が現れます。
須佐之男命の御面様は怒りの形相で、まるで地団駄踏むように荒々しく舞います。 |
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| 式二十番 綱荒神 |
| 須佐之男命の御面様は舞いの後に藁蛇の上に座って神主との問答に及びます。 |
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| 式二十一番 綱神楽 |
須佐之男命の御面様と神主との問答が終わると藁蛇二頭が出てきます。
献饌された猪の頭の両脇にあった藁蛇は綱荒神の前に降ろされています。
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| 式二十一番 綱神楽 |
この神楽は蛇切りの舞で、白の後鉢巻、赤の片たすき、短袴、黒脚絆、白足袋での四人舞です。
左手に刀、右手に鈴を持って、二頭の大きな藁蛇(綱)の上を飛び越えながら勇壮に舞います。
いかにも修験者が刀を振りかざして険しい山道を駆け上っていくような逞しい身軽さを有した舞を舞いながら蛇を討ち取るために集中していくような、そんなイメージが沸々と湧いてきます。
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| 式二十一番 綱神楽 |
| いざ藁蛇(綱)を討ち取らんと構える祝子四人。 |
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| 式二十一番 綱神楽 |
四人がそれぞれ綱を切るとその切り口を傍に控えた祝子が素襖で素早く押さえます。
切られた綱は直ちに祝子たちによって境内横の荒神林に納めます。
この神楽は智剣を以って悪念妄想の綱を断ち切ることを表現した舞で、「綱の問答」の中でやり取りがなされています。 |
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必ず神主が舞う一人舞です。
三十三番の神楽の中でも中心になる神楽で、狩衣を着し烏帽子を被り腰に刀を差し、左手に「かみ」「たか」の御幣をもち、右手に鈴をもって舞います。
この神楽がはじまるときは両神の御降り神楽の時と同じく法螺貝を吹きます。
優雅にして品位のある舞です。 |
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| 式二十二番 伊勢神楽(大神(だいじん)神楽) |
この神楽がはじまる前に神屋の隅に天の岩戸を擬した屏風が置かれ、その中に天照大神を表現した少年が女性の装束を着て女面と烏帽子を被って座っています。
神楽の終盤にはこの岩戸を向いて舞い、神主は「伊勢の縁起」を奉唱します。
この神楽は天照大神の大前に奉納する神楽で天児屋根命の舞といわれる格調の高い神楽です。
「伊勢の縁起」は、天照大神が岩戸にこもった理由と、大御神岩戸よりお出ましを願って八百万神(やおよろずのかみ)たちの諸々の行動を物語ったものです。 |
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高天原から降臨した天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)は笠沙(かささ)の御前(みさき)で美しい木花開耶姫(このはなさくやひめ)と出会いました。
その場で妃にしたいと願うと、そのことは父にお訊ねくださいと言うので父である大山津見神(おおやまつみのかみ)に申し出ました。
申し出を受けた大山津見神は喜んで、姉の磐長姫(いわながひめ)も一緒にもらってくれるように言って二人の娘をさしだしました。
二人の姫を受けた瓊々杵尊は姉の磐長姫を大山津見神のもとへ送り返しました。
磐長姫は木花開耶姫に比べようもないほどの器量の悪い女性だったからです。
磐長姫は嘆き悲しんで鏡に自分の顔を映してみました。
そのとき、あまりの醜さに姫自身が驚いて、映した鏡を放り投げました。
鏡は姫の悲しみを乗せて遠く龍房山((りゅうぶさやま)の木にかかり、ピカピカと輝いて麓の村を昼夜通して白々と照らし続けたのです。
そのことにより、この村を白見村というようになりました。
磐長姫は、投げた鏡を探して白見村にやってきました。
そして白見村に住んで田を拓きました。
姫の拓いた田では米が沢山稔りました。
姫は「こめよし こめよし」たいそう喜んだそうです。
そしてそれが「米良」の地名になったということです。
鏡は白見村の長老が龍房山に登り、村に下ろして祀るようになりました。
白見村はこの故事に因んでそれより銀鏡(しろみ)村と呼ぶようになりました。
磐長姫が拓いたという田は田之元という地名で銀鏡と西米良村小川の二箇所にあって、銀鏡の田之元は小さな三角形の三枚の田で、代々七社稲荷の社家をつとめてきた上米良(勘女良)家が米を作ってきました。
あるとき銀鏡の田之元の稲穂が田から流れ出て川に落ちました。
稲穂は一ツ瀬川を流れ流れて現在の西都市穂北に根付きました。
穂北の稲穂は稔ると北に頭(こうべ)を垂れるといいます。
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九州山地、熊本県との県境にある市房山(1721m)の東部にあって米良氏の領地であった所を米良郷といいました。現在は西都市に編入された銀鏡地区は昔は児湯郡西米良村を含めた米良郷の主要地でした。
南北朝時代、後醍醐天皇の皇子である懐良親王(かねよししんのう)は、南朝方の征西大将軍であったことから征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)と呼ばれました。
懐良親王は現在の熊本県菊池市を拠点に肥後菊池氏一族の助けを借りて征西府の勢力を広げ、一時期九州における南朝方の全盛期を築きました。
しかし、南朝方が九州を納めたのは僅かな期間に終わり、懐良親王は現在の福岡県の矢部の奥に身を隠し、菊池氏は分散してしまいますが、菊池氏の一族の誰かが米良山に入り米良氏を名乗ったと伝わります。
米良山にはその懐良親王にまつわる伝説があります。
それは遠江の守護大名で九州探題であった今川貞世に攻められた懐良親王は神のお告げで米良山に入ったというものです。
西米良村の竹原には「王朝様の御所跡」と呼ばれる場所があって、昔は立ち入りをしない場所とされていました。
昭和のはじめに御所跡の裏手で刀剣や金箔を施した兜など懐良親王の米良山に滞在した証と思わせるような物が発掘されました。
懐良親王は福岡県の矢部の奥地で没し、熊本県八代市の八代宮には宮内省が認める墓所があるのですが、懐良親王は(旧)米良郷の人々にとっては今なお親しみのある存在であり続けています。
銀鏡神楽の八番で西之宮大明神として夜中の十二時頃に米良の人々の前に現れると、「西宮さんがおいりになる」と、その登場を待ち望んだ声があがり、神楽の会場は華やかで賑やかで和やかなピークを迎えます。
銀鏡神楽の主神である西之宮大明神は懐良親王の別称の(征)西(将軍)宮であるのです。
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鏡を御神体とする銀鏡神社は1489(長享三)年の創建とされていますが、棟札には鏡を祀ったといわれる天氏重続と天氏兼続の名があります。
現存するのは紀元前一世紀ごろの漢式鏡で「方格四乳葉文鏡」一枚ですが、伝説によれば鏡は二枚あることになります。
磐長姫が投げて引懸かった龍房山の木から下ろした天氏兼続が祀っていたものと、領主であった天氏重続が保持していたとされる懐良親王が後醍醐天皇より賜ったという割符の鏡です。
二枚の鏡は懐良親王の霊とともに祀って銀鏡神社を創建したとされます。
もう一つの御神体である龍房山(1021m)は古くから修験者の聖地でありました。
標高約800メートルのところに金毘羅大権現を祀る祠があります。
祠の前の地下は空洞になっており、そこには五体のミイラが入っているといいます。
神武天皇が美々津を出発するときに兄の五瀬命が病死して遺体を米良山まで運んで婦人と子供、それに二人の殉死者とともにこの下に葬ったと言われています。
祠の前で地面を叩くと確かに空洞になっている響きがすると言います。
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