今山大師祭

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                                                                   今山大師祭・弘法大師

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今山大師祭・延岡


1839年(天保10年)、延岡地方では、病が猛威をふるいました。
延岡の弘法大師の信徒たちは、高野山金剛峰寺に出向いて、現在の本尊となる弘法大師座像を勧請して、大師庵を建てました。
毎年4月中旬におこなわれる今山大師祭は、百数十年の歴史と伝統を持ち、遠く北九州、四国などから大勢の参拝者がおとずれて、25万人の人々で賑わいます。
高さ18メートル(台座から11メートル)、重さ11トン、足の大きさ62文(約1.25m)、という、日本一の弘法大師銅像は、1957年(昭和32)4月に、信徒の浄財で立てられたものです。



弘法大師の僧としての名前は空海ですが、一般的には弘法大師と呼ばれているようです。
弘法大師のおこした真言密教を真言宗といいますが、この真言宗では「南無大師遍照金剛」とお題目をあげます。
この場合の南無は南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の南無で、「・・・に帰依する」ということを意味していて、つまり、南無阿弥陀仏の場合は、わたしは阿弥陀仏に帰依します、そして、南無大師遍照金剛の場合は、わたしは大師遍照金剛に帰依します、と言っていることになります。



南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)は、日蓮系や法華経系の宗派が唱えるお題目のことで、妙法蓮華経、つまり、法華経の教えに帰依する、という意味になります。
また、
禅宗で用いる南無釈迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)は、お釈迦様に帰依するという意味です。



南無○○○○○○

他のお題目は、釈迦であったり、阿弥陀仏であったり、お経であったりなのですが、真言宗の場合は弘法大師に帰依していると唱えるのです。
この世にナマ身で存在した人間が、その死後千数百年を経てもなお釈迦やお経などと同格で、今なお、人々にあがめつづけられているという、驚嘆すべき事実があるのです。



空海は讃岐生まれですが、その讃岐地方には多くの池があります。
その池の多くは、空海の生まれたころには存在したというのに、多くは空海が掘ったという伝承がそれを否定します。



空海は、十六才で都にのぼり、十八才で大学に入学をします。
大学では、官吏になるための明経科に入ります。
しかし、やがて空海は、大学を退学して出家して山に篭ります。



しかし、空海は、越の立山とか、出羽の羽黒山とかの、すでに当時有名な霊山にいくことはなく、阿波の大滝嶽で修行して、次に土佐の室戸岬で修行を重ねます。
この室戸岬で修行をしているときに、「口の中に明星が飛び込んできた」と、後に大真面目に語っています。

空海はこのとき、悟りがあったのかもしれません。



無名の空海は30歳のころ、留学生(るがくしょう)という身分で、遣唐使の船に乗ります。
出航からの幾日か、風に翻弄されて位置が不明になって、そのあとは陰陽師の占いに振り回されてか、34日かかって、ようやく中国大陸に漂着します。



中国においての空海は、その並外れて優れた能力が発揮されるケースが多く、その働きに目覚しいものがあり、あっというまに、それまでまったく無名だった空海は、日本からやってきた重要な人物になっていきます。



当時の中国の密教の高層、恵果(えか)に会い、学びを乞うのですが、恵果は空海が日本ですでに独学していた密教を教えるのではなく、追認しただけで、密教の所作や動作などを教えたにすぎなかったようです。
恵果は、千人もいる弟子にではなく、空海に真言の正嫡としての地位を与え、「遍照金剛」の号を与えたのです。




宮崎市の瓜生野神社の近くに、垂水(だるみず)公園があります。
そこにある大師堂と、ある男についての語り伝えがあります。
数百年前に、弘法大師を信心する男が、二度目の四国四十八ヶ所参りに出かけたときに、背中に負ぶって持ち帰った弘法大師の石像を、その垂水の丘に祀りました。
後に、ここが後に大師堂になりましたが、三度目の四十八ヶ所のお参りにでかけた男は、どういうわけかそのまま帰ってきませんでした。
あるとき、その男が、垂水の大師堂の近くにあらわれて、村人としばし、懐かしく話をしましたが、村にもどってゆっくり話をしよう、という約束をしたまま姿を現すことはありませんでした。



明治の初め、「夢に白髪の老人が立って、瓜生野の垂水大師に参ると、病気が治る」という噂が飫肥に広がりました。
飫肥や油津方面から、大師堂に続々と参拝者が押し寄せました。
中には野宿をして、数日間、祈願するものもいて、お賽銭が毎日山積みとなったといわれます。
にわかに、参拝者目当ての茶屋が、63軒立ったといいます。
キリスト教徒の疑いがあると、警察が警告をしたことで、一件は落ち着いたそうです。




日向市の金ヶ浜とお倉浜に特産物のハマグリをめぐる民話があります。
金ヶ浜にも、お倉浜と同じく、ハマグリがとれるのに、金ヶ浜ではとれないという民話がなぜおこったののでしょうか。
たしかに以前は金ヶ浜ではほんとうにハマグリがとれなかったからこそ生まれた民話であると考えられるますが、その原因はなんであるにせよ、神にも近い超能力の持ち主だと信じられた空海だからこそ、成立した民話と言わざるをえません。




弘法大師(像)は毎日ここに立って延岡市を眺めています。
台座からの高さは11メートルといいますから、これより10メートル近く高いところから日向灘を眺めていることになります。



丸顔の中肉中背。
肩の肉は厚く、がに股。
日本人の中では、不世出の天才と言っても過言のない空海は、出身家の佐伯氏の貴公子というよりも、むしろ、この大師像のような、当時のごく普通の日本人的容貌の人だったのかもしれません。


延岡では、『おだいっさん』、と呼ばれて、親しまれています。








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