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吾平津姫 |
吾平津姫 |
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吾平津姫 |
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吾平津姫 神武天皇の日向での妃は吾田(あた)の小椅(おはし)の娘で吾平津姫(あひらつひめ)と言った。 神武天皇は吾平津姫との間に手研耳命(たぎしみみのみこと)と研耳命(きすみみのみこと)の2人の皇子がいたが東征には姫と研耳命は連れて行かなかった。 姫は油津の地に残って東征の成功と道中の安全を祈ったと伝えられる。 神武天皇は大和地方を平定すると橿原宮を皇居と定め、出雲の事代主命(ことしろぬしのみこと)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)を皇后に迎えた。 神武天皇崩御の後は日向の吾平津姫との間に生まれた長男の手研耳命が摂政となって政治を行ったが、異母兄弟達によって暗殺され、弓を射て直接手を下した弟の「神渟名川耳命」(かむぬなかわみみのみこと)が第2代の綏靖(すいぜい)天皇となった。 日南市の港町油津は姫の生誕の地と伝えられ、その地名は姫の名前のアヒラツの「ヒ」が「ブ」に転じたものであると伝えられている。 さらに、4町村の合併によって誕生した日南市の(旧)吾田町は姫の父の名前に由来しているといわれている。 日南市の油津港に注ぐ堀川運河に架かる堀川橋の袂には、姫を主祭神として祀る吾平津神社がある。 吾平津神社は元明天皇の御代の709(和銅2)年の創建」と伝えられるが、元々は「乙姫大明神」と言った。 1881(明治14)年に現在の吾平津神社と改名されたが、地元の人々は今でも「乙姫神社」、あるいは「乙姫さん」という呼び方をしている。 国の有形文化財の堀川橋は「乙姫橋」とも言うが、その名も吾平津姫を祀るこの神社に由来する。 吾平津神社は飫肥11社のひとつで、吾平津姫の他、天照皇大神、武甕槌命、天児屋根命、木花咲耶姫、経津主命、倉稲魂命を併せて祀り、古くから航海安全、商売繁盛の神社として人々の信仰を集めている。 例大祭は11月14日に行われ、御神輿や獅子舞が町中を練り歩いて賑わう。 文久年間(1861年~1863年)に神社付近の小丘を発掘したところ鏡や玉等の遺物を発見したことがある。 この小丘は前方後円墳であり、吾平津姫の御陵と伝えられる。 |
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