【青島神社】
祭神
天津日高彦火火出見命・豐玉姫命・ 塩筒大神
由緒
彦火々出見命(山幸)が海宮から帰還したときの住居の跡として三神を祀ったと伝えられている。
初めて祀った年代は不明だが、、平安時代の日向国の国司の巡視記とされる『日向土産』なる書に「嵯峨天皇(日本の第52代天皇で在位は809年~823年)の御宇に奉崇(あがめまつる)青島大明神」と記され、当時既に崇敬されていたと伝えるが、詳細は不明である。
室町時代以後は藩主伊東家の崇敬が厚く御社殿の改築や境内の保護に尽した。
明治以降は国内絶無の熱帯植物繁茂の境内を訪れる人が多く、縁結び、安産、航海、交通安全の神として、益々神威が輝くようになった。
青島は昔から霊地として一般の入島は許されず藩の島奉行と神職だけが常に入島し、一般は旧3月16日島開祭から島止祭(同月末日)まで入島を許されていた。
元文二年(1737年)、当時の宮司長友肥後が一般の参拝者にも入島を許されるよう藩主にお願いして許可され、以後入島が自由になった。
昔から聖域として保護されたので島の植物や岩石が自然のままに残り、植物(青島亜熱帯性植物群落)が国の特別天然記念物に、岩石(青島の隆起海床と奇形波蝕痕)が国の天然記念物に指定されている。
祭神は海幸山幸神話の山幸で、神武天皇の祖父。
山幸の妻であり、海神の娘である豊玉姫。
兄の海幸とのことで悩んでいたときに海神のところへ行くように勧めた塩筒大神。
毎年成人の日には青島神社の上記の祭神が深くかかわる日本神話がルーツの裸まいりが行われる。
「裸まいり」は、山幸が急に海神宮から帰還した際、村の人々が衣類をまとう暇もなく裸のままで取り急ぎ出迎えたという古事から起こったいわれ、男女約300名が神社の前の海で禊を行い、身を清めて神社に参拝をする。
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