新しき村

 



大正七(1918)年、武者小路実篤は児湯郡木城町石河内に「新しき村」を開設した。

当時の日本の文学や芸術の関係者に大きな衝撃を与えた「新しき村」は人道主義、理想主義を掲げた壮大な試みであった。

「新しき村」には当初武者小路の妻房子と子供を含めて約20人が入村し、お互いが人間らしく生き、個性を尊重し、睦みあい、天寿を全うすることなどの理想郷を目指した。

後に、杉山正雄と妻の房子、武者小路と飯河安子の恋愛問題などを原因とした問題が生じ、武者小路はそれを契機に村を去った。

加えて、昭和十三(1938)年に小丸川の開発計画により、それまで開拓してきた30アールの田と村のシンボルであったロダン岩が沈み、村は致命的な打撃を受けた。

村外会員となっていた武者小路は「東第一新しき村」を提案し、埼玉県入間郡に開設した。

会員は木城の「新しき村」を去って埼玉県に移って行った。

残ったのは杉山正雄と房子だけとなったが、その後二人は「日向新しき村」と名称を変え、村は存続された。

写真の建物は武者小路実篤が住んだと言われる住居である。

 
新しき村:宮崎県児湯郡木城町

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