ガンガン石
ガンガン石は延岡市の中心部の西に隣接する大貫地区にある。
平安時代中期に編纂された延喜式の巻28の兵部省に関わる「諸国駅伝馬条」に見える川辺駅は大貫にあったと考えられており、大貫は都などとの間の年貢などの輸送や役人達の往来のための交通の要衝となっていたようだ。
そもそも「貫」とは本来大量の銭を携帯するために銭を束ねた道具「銭貫」のことでであるが、銭の中央に空いている穴に貫を通して1組とするもので、中国の魏の頃には1貫を銭1000枚とする風習が在った。
今では5円と50円硬貨にしかない中央の穴はその名残である。
また、かっての日本の尺貫法には「貫」の文字が使われたが、「貫」は重さの単位であり、一文銭の目方(いちもんせんのめかた)であることから「匁」(もんめ)と呼び、1000匁を1貫とした。
「大貫」の地名の由来は定かではないが、銭を束ねる貫にしても米などの目方の単位としての貫にしても、いずれも「大貫」という地名からそこが昔から豊な土地であったことを推し測ることができる。
大貫のガンガン石には次のような由来がある。
考古学者の鳥居龍蔵博士が、大正2年から昭和4年にかけて県内の古墳の調査をした。
「これは天然の露出石の上に数枚の巨石を置いたものである。」
この石は人手で揺らすと揺らぐように置かれていて、木片や碑石で叩くとガンガンと音がするのでその名がつけられ、巨石として祀られていると記録している。
石を叩くと雨が降る。
雨乞いにガンガン石を叩けと言われた時代もあった。
この付近一帯は、沖の田又は古田と言った。
肥幸田五反田、三百歩、鞍尻の字名がある。
ガンガン石より北東500m位の位置に十艘杜という台地があり、その杜には十艘ほど川舟を繋ぐほどの台地があった。
十艘杜の中に水神社の祠があり、昭和32年より昭和35年にかけての耕地整理によりこの場所に移設した。
十艘杜の名が示すように、旧石器時代はこの一帯は海であったことが想像できる。
又、沖の田の地下には海砂や貝殻が出る。
浄土寺山には貝殻が発掘されている
その後、海退が進み、畑や草原であった場所を江戸時代、富山喜三郎鹿之助を長として、天下町に堰を作り、用水を引き、水田化されたのである。
古田一帯の給水も考慮してガンガン石の社の横に堰が作ってあった。
以上
ガンガン石が鳴ると雨が降ると言われてきた。
しかし、近年になって石の一部を移動したために鳴らなくなったとも言われる。
ガンガン石は大貫地区から野地、野田、西階に通じる交通の要にあり、この一帯の住民はこの石を脇を通って東西南北へそれぞれの目的地を目指す。
雨乞いの役目は疾うに終えている。
それでもガンガン石は今も地域住民からある種の畏敬の念を持たれていて重い存在感がある。
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