平和の塔 |
平和の塔 |
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平和の塔 |
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平和の塔は日中戦争の激化した1940(昭和15)年に皇紀2600年記念事業として建立された。 建立された当初は八紘之基柱(あめつちのもとはしら) と名づけられ、「日本書紀」にある神武天皇の詔(みこと のり)の「八紘を掩(おほ)ひて宇(いえ)と為(せ)んこと 亦(また)可(よ)からずや」に由来するものであった。 基礎になる石は日本、中国、台湾、朝鮮、インド、ドイツ、イタリア、南米など世界各地から寄贈された切石1,789 個、石材834トンを用いた。 建設作業に従事した作業員は多くの学校隊をはじめとする祖国振興隊などの勤労奉仕を含めて延べ65,500 人、総工費67万円の費用は全て県内外の篤志家から寄せられた100万円余りの寄付金でまかなわれた。 設計は、無報酬でその仕事を引き受けたいと申し入れた新進の彫刻家の日名子実三に決定した。 塔のデザインは「御幣を具現化してみてはどうか」という知事の相川勝六の言葉が決め手になったという。 高さは37m、4隅に武、漁、農、商工の4魂神の立像を配している。 1944(昭和19)年には10銭紙幣の図柄に採用されるなど、戦意高揚のシンボルとしてしばしば使われた。 終戦後に「平和の塔」と名称が変更される。 同時に八紘一宇の文字と武神像が撤去された。 昭和39年の新しい条例の施行にともなって「県立平和台公園」となり、撤去されていた八紘一宇の文字と武神像 は復元された。 塔は、建立当初の役割から開放されて、平和を祈る塔として宮崎市内を一望する景勝地に建ち、海外からの観光 客も訪れる憩いの場所となっている。
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平和の塔の地図:宮崎県宮崎市 Copyright (C) All Rights Reserved ようこそ宮崎 宮崎mini辞典 平和の塔:宮崎県宮崎市 スポンサードリンク 宮崎市の土地建物 延岡市の土地建物 門川町の土地建物 |
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