堀川運河

堀川運河

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堀川運河の画像


日南市の特産品には江戸時代に飫肥藩が植林活動をはじめた飫肥杉がある。

飫肥杉の植林は元和年間(1615~1624)に苦しい藩の財政を補うために藩士が合議してはじめたとされる。


日南地方は温暖で湿潤な気候のため杉の生長が早く、年輪の間隔が広く、木目は粗いが、その分浮力が大きく、

樹脂が多く、耐久性に富んでいるので、その性質を利用して造船用に利用された。



造船用の杉は「弁甲」と呼ばれ、側面を平らに削った形状に加工されてから出荷されたが、弁甲材は、酒谷川、

広渡川流域で伐採され、筏に組まれて川を下り、油津港に集積して船積みされた。

その際、広渡川から油津港に至るには、いったん川から海に出て、梅ケ浜沖から尾伏岬を回らなければならず、

直線にすれば短い距離でありながら時間がかかる上に危険を伴う区間であり、木材の損失も多くあったという。



また油津港はしばしば台風に襲われるが、船を避難させる場所が少なく船数を増やすことが困難であった。


飫肥藩5代藩主の伊東佑実(すけざね)は、それらを改善するために広渡川と油津港を直接結ぶ堀川運河を作る

ことを決定した。


藩士中村與右衛門と田原権右衛門が堀川奉行に命ぜられ、1683(天和3)年に着工した。


工事は困難を極め、とくに海の近くでは50m以上に及ぶ岩盤を掘削する必要があり、堀川奉行らは運河掘削工事

についに弱音を吐いたが、藩主祐実は強い意志で叱咤激励し、1866(貞享3)年に2年4ヶ月に及ぶ工事の末に

延長900mの堀川運河は完成した。



このことにより飫肥杉その他の物資の運送は飛躍的に改善され、また船の避難場所として使われるようになり、こ

のことはその後の油津港発展の礎ともなった。


1903年(明治36年)に石造アーチ橋の堀川橋が架けられた。


堀川橋は「乙姫橋」とも呼ばれ、神武天皇の妃の吾平津姫を祀る吾平津神社の前に架かる。


堀川運河は運送や船の避難場所としては効果をあげたものの、油津港が西の平野部と切り離された。

それを解消するための橋が架けられていたが、木造橋であったために災害に備えた堅牢な橋が望まれていた。


飫肥の石工石井文吉の手によって作られた堀川橋は1999(平成11)年に国の有形文化財に登録された。


大正から大戦前の昭和期には飫肥杉で作ったこの地独特の「チョロ船」もこの橋の下を通った。



油津地区は2007年に財団法人古都保存財団の「美しい日本の歴史的風土百選」に選ばれた。

日南市は2005年8月、県内第1号の景観行政団体となり、同年9月には「景観協議会」を発足させ、市内の歴史

遺産や自然環境といった地域の特性を生かした景観つくりに着手した。

また堀川運河は国の「歴史的港湾環境創造事業」の指定を受けた。


関連ページ(地域) 飫 肥 赤レンガ館 吾平津姫 鵜戸神宮
堀川運河・吾平津神社・赤レンガ館地図:宮崎県日南市油津

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