石貫神社は宮崎が生んだ永遠の伝説の美女、木花開耶姫の父の大山祇命を祭神とし、古くは日能若・石貫大明神と称された。
創建は天平五年(733)と伝えている。
弘治2(1556)年6月の「古帳神社知行目録」によれば、神田12町1反歩を有し、応永24(1417)年、社殿改修に当たり神饌田が加増され、以来応永25年、26年、27年、永享2(1430)年等、幾度に渡り神饌田の増加の記録が現存する。
天正15(1587)年の豊臣秀吉の島津討伐のための戦で、秀吉の弟羽柴秀長の命に神社が従わなかったとして、社領は没収された。
西都原古墳群の代表的な古墳のひとつに「鬼の窟古墳=おにのいわやこふん」があるが、この古墳の主と伝わる鬼は悪さばかりして人々を困らせていた。
鬼は美しい木花開耶姫に心を惹かれ、その父である大山祇命に嫁に欲しいと申し出た。
鬼に嫁がせたくない大山祇命は「明日の夜明けまでに石造りの大きな塚を造れば」という条件をつけた。
鬼はすぐに取りかかり、そしてやっとのことで完成させた。
安心した鬼は、寝てしまった。
それを知った大山祇命は天井石の一つを抜(貫)き取って東の谷に投げ捨てた。。
朝になり鬼は目覚め、大山祇命を案内して完成した塚を見に行ったが、天井石が一つ足りない。
大山祇命は鬼が条件を満たさなかったことを理由に木花開耶姫との縁談を断った。
現存する「鬼の窟古墳」は、切石を積み上げた石室があり、天井石は畳2枚分ほどの大きな石が乗っている。
ただ、天井石がひとつ足りないのだそうだ。
一方で、石貫神社の入り口には、大山祇命がその時抜き取って投げ飛ばしたという石がある。
石貫の地名や神社の社名の由来となった石であるという。
石貫神社の西側に長い石貫階段があり、それを上りきったあたりに大山祇命の陵墓と伝えられる西都原古墳群90号墳(大山祇塚=おおやまづみづか)ある。
鬼の窟古墳も大山祇塚からさほど遠くない所にある。
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