五十鈴川は宮崎県と三重県にある。
三重県の五十鈴川は神路山を源流として伊勢神宮の傍を流れ、宮崎県の五十鈴川は東臼杵郡美郷町北郷区から門川町へと流れている。
古墳などの古代遺跡や日本神話の里でもある宮崎県北には、祝子(ほおり)川、五ヶ瀬川、耳川など、いずれも記紀に登場する神々の名前からつけられたと推理できる川が並んでいるが、五十鈴川はその五ヶ瀬川と耳川に挟まれたエリアにあり、その流域面積206km²は県内では6番目に大きい。
源流は速日峰(868m)の頂の西側の北郷村中崎谷、椎野谷、中小屋天文台付近とされ、ダムや人工的河川施設がなく、上流に汚濁源もないことで清流である。
速日峰は、延岡平野の西約20kmのところにある山で、日向灘を見下ろす絶景の地である。
おそらく宮崎県内でも日の出が最もダイナミックに見ることができるこの山の名の由来は、饒速日命(にぎはやひのみこと)からついたものと推理するが、ただ、この山が何故に速日峰と名付けられたかは定かではない。
では五十鈴川の名前の由来はといえば、これも客観的事実を並べて、なんとなく納得するしかないが、五ヶ瀬川は言うまでもなく神武天皇の兄の五瀬命(いつせみのみこと)から、耳川は天忍穂耳命から、またはいずれも名前に「耳」がつく神武天皇と吾平津姫との間の2人の皇子からきていると思われる。
同様に「五十鈴」がつく神々はといえば、東征を成功させた神武天皇が天皇の位について娶った姫蹈鞴五十鈴姫命(出雲の事代主命娘)が出てくる。
しかし、誰が名付けたにしても神武天皇の出身地日向(国)の川の名前に、自らの故郷に残してきた先妻の吾平津姫を差し置いて出雲の後妻の名からつけるのはあまりに不自然で考え難い。
その点において、もし三重県の五十鈴川が姫蹈鞴五十鈴姫命の名から付けられているとすれば、それは五ヶ瀬川や耳川と同じ理由で納得する。
では、神々の名前に由来しないとなれば五十鈴の語源についてはどうか。
「五十鈴」の語源については諸説あるが、その中に「洗い濯(すす)ぐ」=「イスギ」を語源としたという説がある。
であれば、「五十鈴」という名は水の流れが清らかで澄んだ川、またはその川が流れる山や谷などにつけられたのではないか。
五十鈴川は正しく「流れが清らかで澄んだ川」。
などと、いろいろ稚拙な推理をしたが、名前の由来の推理はこの程度が限度。
などと考えたが、重要なことを忘れていた。
サルタヒコはニニギの天孫降臨の道案内を終えた後は彼の故郷の五十鈴川の川上に帰って行ったことを忘れていた。
であれば日向(国)の五十鈴川はサルタヒコの故郷の五十鈴川であるのかも知れない。
五十鈴川は五ヶ瀬川や耳川に比べたら小さい川である。
五ヶ瀬川がイツセ、耳川がアメノオシホミミといった日本神話の重要な国津神の名前に由来していることに比べたら、控え目で身分相応と言っていい。
それでいて天孫降臨に際して真っ先駆けて道案内を申し出た功労者に対して五ヶ瀬川と耳川の中間にあるこの川をサルタヒコに因んで「五十鈴川」と呼ぶことにしたとすれば、それはそれで腑に落ちることである。
名前の由来の推理はともかくとして、六峰街道の一角から一気に流れ落ちてくる五十鈴川は、その下流のどこを堰き止めても有力な水力発電所には成り得なかったのだろう。
そのおかげで1つのダムも造られることもなく、今尚古代と同じ美しい流れを保つことができている。
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