槵觸(くしふる)神社
かれしかして、天津日子番能邇邇芸命(あまつひこほのににぎのみこと)に詔(の)らして、天(あめ)の岩位(いはくら)離(はな)ち、天の八重(やへ)たな雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、天の浮橋に、うきじまり、そりたたして、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降りまさしめたまひき。(古事記)
古事記に天孫降臨の地として記された槵觸岳(くしふるたけ)・槵觸峰は西臼杵郡高千穂町の中心地の東に位置する山の一部を言う。
天津日子番能邇邇芸命(以下ニニギノミコトとする)が天降りするときに先導をしたサルタヒコと、彼に向けてアマテラスオオミカミが遣わしたアメノウズメを祀る荒立神社が槵觸峰の裏手にあり、また、高天原からニニギノミコトに着いてきた20人の勇者を祀ったという二十躰王宮社跡もこの近くにあり、古事記などの神話を裏付けるような状況証拠とでも言うべき環境にこの槵觸(くしふる)神社はある。
神社の境内にある由緒には次のような記述がある。
槵觸神社の鎮座するくしふるの峰は肇国の昔、天孫瓊々杵尊が三種の神器を奉戴してこの国を治める為に天降られた聖地として古史に記されてゐます。
往昔(むかし)は社殿はなく、山そのものを神と崇めて高千穂八十八社の一つに数へてゐましたが、十社大宮司をはじめ、往古の聖跡を慕ふ歴代延岡藩主の熱望と高千穂十八郷の民力とにより、元禄七年(1694)六月十五日に社殿が建立されました。
古来、武神としての信仰が厚く、またわが国の神道流布根源の地として広く信仰され、高天原、四皇子峯とともに高千穂を代表する聖地であります。
御祭神
天児屋根命 経津主命 天津彦々火瓊々杵尊 天太玉命 武甕槌命
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