諸県君牛諸井 |
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諸県郡(もろかたぐん)とは、古代律令期から明治初期まで日向国南西部一帯に存在した郡であり、「諸県」は現在の東諸県郡国富町に存在した地名である。 諸県君牛諸井(もろかたのきみうしもろい)が支配していた地域はこの諸県弁を使う地域とおおまかに一致している広大な地域であった。 12代景行天皇は熊襲征伐のために高屋宮(西都市都於郡)に6年間滞在した。 その間に御刀姫(みはかしひめ)を妃として豊国別(とよくにわけ)皇子が生まれた。 豊国別皇子は日向の国造(くにのみやっこ)の祖となった。 豊国別の名前については、大隈、薩摩が日向から分離されるより昔に、日向は豊国から別れたもので、豊国から別れた国(日向)を治める者という意味があった。 国造は律令制が導入される前の支配体制で、国造の下に県(あがた)があり、国県制がとられていて、国造には臣・連・君・公・直などの姓が贈られた。 日向国造は豊国別から国富彦、老男と代々続き、老男の子である牛諸井は諸県君の命を受けて現在の国富町を本拠地とした。 牛諸井は景行天皇を先祖にもつ皇統の筋であったが、その娘の髪長姫は美人の誉高かったこともあり、16代仁徳天皇の妃となり、このことにより牛諸井は天皇の舅となった。 また牛諸井本人も15代応神天皇の皇女大原稚郎女命(おおはらわかいらつめのみこと)を婦人として迎えている。 さらに仁徳天皇と髪長姫との間に生まれた幡梭皇女(はたひおうじょ)後に21代雄略天皇妃となった。 このように諸県君牛諸井は天皇の親族として中央政府と深く結びついていて、さらに豊国別皇子以来支配を続けてきた諸県には強力な権勢を誇っていたものと考えられる。 西都原古墳群にある男狭穂塚、女狭穂塚の被埋葬者については地元の伝承を含めて諸説あるが、女狭穂塚は畿内の天皇陵に匹敵するほどの規模であり、仁徳天皇妃髪長姫の陵墓であるという説には説得力がある。 またそれに寄り添う男狭穂塚の被葬者は、女狭穂塚の被葬者とは夫婦であるとか、親子であるとかの極めて近い間柄であることは明らかで、皇室と幾重もの縁戚を重ねた関係であった諸県君牛諸井の陵墓であるという説も、同じく説得力がある。 |
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