行縢山 |
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![]() 廃線となった高千穂線の行縢駅の南側の山麓に弥生後期の高野貝塚があり、かって紡錘車を出土したという。 紡錘車とは繊維に撚りをかけて糸を紡ぐ時に使う弾み車のことで、遠い昔の人々のこの地での営みを思い起こすことができる。 旧行縢駅あたりを舞野といい、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る舞野神社がある。 日本武尊は熊襲討伐のためにここに来た。 村人は尊をもてなすために舞を披露してその名(舞野)がついたという伝承が残っている。 舞野神社の裏手に現在県の文化財に指定されている六地蔵があった。 神社の北には平安時代の苺田窯跡がある。 舞野の新川の南の真藤(しんず)の上の台地には国史跡の古墳が6基ある。 また近くの貝の畑遺跡では弥生後期のもので住居跡が発見されている。 舞野の北に剥き出しの奇岩が屏風のようにそそり立っているのが行縢山で、山の姿が昔の武士が馬に乗るときに腰部から脚部にかけて着用した行縢に似ていることからその名がついたという。 行縢山は西の雄岳と東の雌岳からなり、二つの岳の間に約80mの矢筈の滝が流れ落ちる。 行縢山の麓には行縢神社がある。 創建は718(養老2)年と伝えられ、延岡城の歴代の藩主に尊崇された。 神社には県の有形文化財に指定されている鉄鰐口(社殿の軒下に吊るす音響具)があり、1605(慶長10)年に 城主の高橋元種の娘が寄進したものである。 行縢山一帯には史跡や伝承が多いが、1164(長寛2)年に源鎮西八郎為朝が行縢神社に参拝した際に腰を下ろしたとされる「腰掛岩」がある。 その西側には大日寺跡があり、近くには数基の墓石がある。 かって行縢山は修験者の修行の山であり雄岳の南の中腹には秘密の窟(いわや)があるという。 1578(天正6)年の松尾城(延岡市松山)落城のとき、城主の土持親成は行縢山中に逃げ込んだが捕らえられて自刃して果てたという伝承もある。 ![]() 行縢神社 |
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