内藤記念館



内藤記念館の現在地を藩制時代には西丸と呼称した。

内藤政挙は郷土の産業を興し、教育の道を推進すべく、明治25(1892)年、旧西丸に新に住居を構え、ここを永住の地と定めた。

爾来30有5年、昭和2(1927)年5月、薨ずるまで、ひたすら郷土発展のために力を尽くした。

嗣子内藤政道は昭和9(1934)年、旧城址城山を市に寄贈、さらに昭和14(1939)年8月、旧西丸の土地邸宅及び付属施設等のすべてを市に寄贈した。

市はその厚意を記念するために邸宅を内藤記念館と名づけ、公共の施設として市民に公開してきたが、惜しむらくは昭和20(1945)年6月の戦災により、そのほとんどを焼失した。

現在の内藤記念館は延岡市の市制30周年記念事業として昭和38(1963)年10月、市が建設したものである。

また、平成5(1993)年、内藤家17代当主、内藤政道は同市の市政60周年を記念して、内藤家歴代当主ゆかりの能・狂言面を含む貴重な品々の寄贈した。

その中には桃山時代末期から江戸時代初期にかけて「天下一」の称号を受けた能面作家の焼印を持つ作品が30点含まれていて、延岡市ではそれらの面を使った「のべおか天下一薪能」が毎年行われている。

内藤記念館においてはそれらの面も常時展示している。

内藤記念館|宮崎県延岡市

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