かくれ念仏洞 |
かくれ念仏洞 |
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かくれ念仏洞 |
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都城市山之口町大字富吉にある「田島かくれ念仏 洞」は洞の入口の高さが110cm、幅が70cm、洞内 の高さは126cm、直径が220cmと見た目にも小さ く、現代人の体格をしてこの洞に入ることはそれだけ でも窮屈で耐え難いと感じるほどである。 都城盆地には数多くのかくれ念仏洞が現存するが、 これらの遺跡は、この地方の貴重な文化遺産である とともに、藩政時代の一向宗(浄土真宗)禁制下にお ける信者の信仰に対する信念と、それに対する政治弾圧という両者の凄まじい闘いの記念碑でもある。 薩摩藩の一向宗弾圧は、1597(慶長2)年に17代藩主島津義弘が二度目の朝鮮出兵の際に出した「一向宗の 事先祖以来御禁制の儀に候事。彼の宗体になり候者は曲事たるべき事」という布令で始り、明治まで約300年 続いた。 役人の拷問は水責め、火責め、水牢、木馬などを容赦なく、残虐を極めた。 拷問の末に白状をすれば禅宗に改宗を命じられ、それを拒めば死刑に処せられた。 武士の場合においては改宗することも許されず、切腹もしくは家禄没収の上、百姓に身分を落とされ追放という ものであった。 都城市山之口町には荒平神社法座所跡や上森、木上、吹上、田原など4ヶ所のかくれ念仏洞があったが、この 田島だけが原形をとどめている。 一向宗の伝道僧は島津藩外の清武から東岳(898m)を命懸けで越えてきた同地の安楽寺の初代佐々木深道 師であった。 1870(明治3)年8月、同町の上田伝兵衛は、かくれ念仏の指導者であることが発覚して極刑に処せられた。 上田伝兵衛は念仏を唱えながらの刑死だったという。 県指定伝統的工芸品の「ごったん」は念仏を唱えるときの伴奏楽器として用いられたという。 |
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| 関連ページ: ごったん | |||||||
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