【建築物:西の正倉院】

西暦660年ころ、朝鮮半島の百済から日本に逃れてきた王族が嵐に遭い宮崎の海岸に漂着し、宮崎県児湯郡木城町の比木と東臼杵郡美郷町南郷区の神門に住んだという「百済伝説」がある。
現在宮崎県内の2ヶ所にこの百済王族の伝説に繋がる神社(神門神社、比木神社)や千年以上続く祭り(師走まつり)があり、この地方にあっては百済王は伝説よりむしろ史実と言えるほどにはっきりとした痕跡を残している。
痕跡の一つに神門神社に伝わる宝物の中の唐花六花鏡があり、それは奈良の正倉院所蔵の銅鏡と同じ文様のものである。
神門神社にはその外にも学術的にも詳しく解明されていない数々の宝物が所蔵され、それらは百済伝説を含めて正倉院に納めておくほどの価値あるもの、という意味で「西の正倉院」という発想に至った。
合併前の南郷村町長の並々ならぬ熱意により門外不出であった正倉院の図面を宮内庁から引き出すことに成功し、内部も含めて奈良の正倉院を原寸大にそっくりに模して造られた西の正倉院は、樹齢数百年の木曽ヒノキを約2千本使用した。
くぎを使わない校倉造りで、幅36メートル、奥行き10m、高さ13m。
太さ40cmの束柱で建物を支える高床式。
内部は(写真)右から北倉、中倉、南倉に分かれていて、北倉は神門神社に伝わる銅鏡などの宝物、中倉は建築に使用した道具など、南倉はパネルなどで師走まつりなどの百済伝説を紹介するスペースとなっている。
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西の正倉院の地図:宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区
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