狭野神社



【狭野神社】

幼名を狭野命(さののみこと)と言った神武天皇は狭野の生れであるという伝承とともに、西諸県郡高原町には神武天皇の誕生から旅立ちまでの多くの伝承地がある。

皇子原神社にまつられている石で、神武天皇の誕生の際に、産湯を使った場所であるといわれている「 産場石(うべし)」。

母タマヨリヒメが諸物を洗い清めた場所といわれている「血捨之木(ちしゃのき) 」。

父のウガヤフキアエズの皇居のあったところで、父とともに幼少時代に住んだ跡といわれている宮の宇都(みやのうと)。

誕生の際に体を祓い清められた場所といわれている祓原。

祓原から流れ出る川で、神武天皇がお祓いをする際には、この川の水を汲み使ったといわれている祓川。

幼少時に水浴びなどをして遊んだ場所といわれている御池の皇子港(おうじみなと)。

皇子原神社へと続く石段の脇にある神武天皇が腰掛けたといわれている御腰掛石(おこしかけいし)。

狭野の地を出発し、東の方へ行く際に、最初に渡った川といわれている狭野渡(さのわたし)。

狭野の地を出発し、東の方へ行く際に、初めて馬に乗ったところといわれている馬登(まのぼり) 。

狭野の地を出発する際に、最後の別れを惜しむ住民たちが鳥居を建てて、行路の安全を祈りながら見送ったところといわれている鳥居原(とりいばる)。

などがそうである。



狭野神社(さのじんじゃ)は、社名は神武天皇の幼名に因むものであり、霧島六所権現の一社である。

旧社格は県社で、後に官幣大社宮崎神宮の別宮となり、現在は独立の神社で神社本庁の別表神社である。

神日本磐余彦天皇(神武天皇)を主祭神とし、吾平津姫命・天津彦火瓊瓊杵尊・木花開耶姫命・彦火々出見尊・豊玉姫尊・彦波瀲武鵜鵜草葺不合尊・玉依姫命を祀る。

孝昭天皇の頃、神武天皇の誕生の地の皇子原に社殿の創建があったのが、狭野神社の創祀という。

その後西暦700~1000年の間、再三にわたる霧島山の噴火により社殿等炎上の災厄に遭ったが、慶長15年(1610)現在の地に社殿を造営還座された。



狭野神社は国道223号線で高原町の中心部から御池に向かって南下すると、ほどなく第一鳥居がある。

そこから社殿までの約1km程は神聖な杉の並木(狭野神社の杉並木)の参道が続いている。

ここの狭野杉は国指定の天然記念物であり、さらにはブッポウソウの繁殖地としての国の天然記念物の指定もある。



狭野神社の2月18日の苗代田祭の「ベブがハホ」 、5月16日の御田植祭での「棒踊り」、「奴踊り」も特筆すべき民俗文化財である。

狭野神社|宮崎県西諸県郡高原町

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