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島浦島

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延岡から太平洋岸を北に向かえば、浦城(うらしろ)、熊野江(くまのえ)、古江(ふるえ)、市振(いちぶり)、宮之浦

(みやのうら)と漁港が続き、その沖合いに島浦島(しまのうらとう)が浮かぶ。

この一帯は美しいリアス式海岸で昭和48年に日豊海岸国定公園の指定を受けた。

キンチャク網イワシ漁の基地だった島浦島は周囲約12kmの小島で山地をなし、その周辺の景観は「日向の松

島」と称される国定公園の中心部にある。



島浦島には次のような伝説がある。

江戸時代末期、島浦島の漁船が漁を終えて港に向かっていた。

船にはカシキ(炊事役)の少年(12歳)が乗っていたが、港を前にしたとことで海草が巻きついた木箱が浮かんで

いるのを船頭が見つけた。

船に引き揚げて蓋を開けてみたところ今まで見たこともない不思議な文字が書かれた品が詰まっていた。

それを取り除いてみると、その下からは金色の髪をした頭の部分が見え、頭を起こしてみると真っ白な皮膚の女性

であることがわかったが、すでに息絶えていた。

船頭はこれを恐れ、乗っていた漁師に決して口外することがないように言いつけて、島の南にある小島に埋めた。

大正時代になり、そのときカシキをしていた老いた漁師は生き証人は他に誰もいなくなったので思い出話として語

って聞かせた。

狭い島ではあっという間に話が広がって島中が大騒ぎとなった。

沖の無人島は島浦島の内外からの人々が押しかけて発掘騒動があった。

しかしとうとう箱は発見されなかったという。



島ではこの調査方を某大学教授に依頼したところ、『丁度その頃、内乱に追われたメキシコ女王の屍を、箱詰にし

て海に流した史実がある』という回答があったという。

太平洋の対岸から潮に流された柩が漂着したと想像され、それ以来、島の人々の間ではメキシコ女王の柩であっ

たと語り伝えられるようになった。




この伝説を裏付ける出来事が延岡藩の村役人が郡奉行へ報告した文書にあるという。

それによれば日時は弘化3(1846)年7月24日朝6時ごろ。

場所は島浦島の約4里沖。

カツオ漁をしていた船は箱を発見して港に持ち帰ろうとしたが日暮れが近くなったので日井之小島に置いてきた。

翌々日に漁師3人が島に戻って浜のやぶの中に埋めた。

文書では木箱の大きさは長さ約2メートル、高さ、幅とも44センチ、板の厚み約5センチ。

内蔵物は頭骸骨1つとその他の骨、長い三つ編みの毛髪、靴1足、足袋のようなもの、綿、木綿の青染のきれ、真

鋳のボタン2個などと具体的に記載してあるという。




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