古来高千穂神社は十社大明神(じっしゃだいみょうじん)と呼ばれてきた。
十社大明神の中心神である三毛入野命(みけいりぬのみこと)のことについては、記紀には「波頭を踏んで常世に行った」とあるが、当地の伝承では、神武東征の途中で高千穂に戻り、当時この地方を蹂躙していた鬼八(きはち)を退治したと伝える。
三毛入野命は神武天皇の兄になる。
祖母嶽明神の娘、稲穂姫の子の鵜ノ目姫(うのめひめ)が鬼八に捕らわれていたところを三毛入野命に助け出され、後に命の妻になり、8人の子を産み、その子孫が代々高千穂を治めたという。
高千穂神社の主祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神。
高千穂皇神は日本神話の日向三代とその妻達、つまり、瓊々杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と玉依姫。
十社大明神は三毛入野命とその妻子(9柱)となっている。
社伝によれば、はじめ三毛入野命が神籬(ひもろぎ)を建てて日向三代とその妻達を祀った。
その後は三毛入野命の子孫が奉仕を続け、後に三毛入野命とその妻子を配祀して、垂仁天皇(第11代)の時代に初めて社殿が創建されたと伝える。
社伝によるれば、天慶年間(938~947年)に豊後国から大神惟基の政次が当地に入り高知尾(高千穂)氏を興し、当神社を高千穂18郷にわたる88社(高千穂八十八社)の総社と位置づけたとある。
さらに社伝によれば、源頼朝が天下泰平祈願のために畠山重忠を代参に派遣して多くの神宝を奉納した。
この時重忠によって(国の重要文化財の)鉄製鋳造狛犬1対が献納され、境内にある「秩父杉」(高千穂町指定天然記念物)も重忠自らが植えたものという。
また、文永・弘安の役(蒙古来襲)の時にはモンゴル帝国の降伏祈願のために勅使が遣わされたという。
1871(明治4)年に「三田井神社」と改称、更に1895(明治28)年に現在の高千穂神社に改称した。
本殿は、九州南部を代表する大規模な5間社本殿建築で国の重要文化財に指定されている。
本殿東側回廊の奥では三毛入野命が鬼八を退治しているのところの彫刻を見ることができる。
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