玉依姫と宮浦神社




玉依姫(たまよりひめ)は神武天皇の母なる人物である。


また、綿津見大神(海神)の子で、豊玉姫(とよたまひめ)の妹にあたる。


玉依姫は、姉の豊玉姫が産んだ山幸の子、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえず)を姉に替わって養育した。


記紀には、豊玉姫は彼女本来の姿(鰐)で子を産んでいる所を、夫の山幸に見られたのを悲しんで親元の海の国に戻ってきたが、山幸の御子を育てるために、妹の玉依姫を遣わしたとある。


鵜茅葺不合尊が成長するとその妻となり、五瀬命(いつせ)、稲飯命(いなひ)、御毛沼命(みけぬ)、若御毛沼命(わかみけぬ)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこ)を産んだ。


神日本磐余彦尊こそ、後に神武天皇となる人物である。


宮浦神社は、その社伝によれば、玉依姫の住居の跡に社殿を立て、桓武天皇(延暦年間)の時に再興されたとある。


永禄3年、伊東義祐が社殿を造営し、その後も伊東家によって社殿の造営・再興・修繕や、社領の寄進などがなされ、その尊崇にはすこぶる厚いものがあった。


藩政時代は社禄五石で、玉依姫大明神と称していたが、明治になって玉依姫神社と改称。


その後、一度鵜戸神社に合祀されたが、明治7年に復社し現在の社名になり社殿の改造も行なわれた。


更に、明治40年2月に神饌幣帛料を供進すべき神社に指定された。


宮浦は宮裏、つまり、鵜戸神宮の背後(裏)に当る位地にあることからそう称したとも伝えられ、古くから安産祈願をする神社として知られている。


伝説の「玉依姫命御陵」はこの宮浦神社から西に約900メートルのところにある。


宮浦神社の表宮である鵜戸神宮は、姫の夫(鵜茅葺不合尊)の生地であり、その裏宮である宮浦神社は姫の住居跡、そして伝説の玉依姫命御陵もそばにある。


宮浦神社|宮崎県日南市大字宮浦688 

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