【都農神社(つのじんじゃ)】
都農神社は日向一之宮であると都農神社の由緒にある。
一の宮は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて成立した社格である。
一の宮は、国が指定したものでなく、由緒や人々の信仰などによって、自然に神社の序列が生じたものである。
都農神社は承和4年(837年)に官社に列せられ、同10年(843年)従五位下が授けられた。
天安2年(858年)には従四位上へ昇叙された。
かっては広大な境内に壮大な社殿を有する日向国第一の神社であり、日向国二の宮である現在の西都市の都萬神社とは対立関係にあったという。
社伝では、神武天皇が東征に向かう際に祭祀を行ったのが創祀であり、神功皇后が三韓征伐に際して舟の守護神として吐乃(つの)大明神を勧請し、皇后が凱旋後に社殿を建立したのが創建であると伝えている。
また、推古天皇(554~628年)の頃、聖徳太子の側近であった秦河勝が鬼面を奉献したといわれ、 推古朝以前には、すでに存在していたという。
天正6年(1578年)の豊後国の大友宗麟による焼き討ちにあい、社殿、社宝、古文書類を悉く焼失した。
延宝3年(1675年)9月13日にここを訪れた江戸時代の神道家、橘三喜(たちばな みつよし)は、『諸国一宮巡詣記』に次のように記している。
申刻津野村に至り、大明神へまふでぬるに、豊後の国主大友宗麟薩摩を攻めし時、あまたの社を焼き払ひ、縁起古記御宝物など悉くうせぬ、その後取立てる人もなしとて、僅かの小社となり、御名さへ知らず、只明神とのみいへり、されど年老たる宮守を尋ね出して、古き事どもを語らせ、棟札などを見て、日向の一の宮とは知りぬ。
その後、元禄5年(1692年)になって高鍋藩主秋月種政によって再興された。
夏祭は8月1日~2日で御神幸祭とも呼ばれ、神輿が都農町内を巡幸する。
三韓征伐の時に神功皇后が当社祭神を守護神として舟に迎えたのに因むと伝えられる。
冬祭 は12月4日~5日で、夜神楽が奉納され、5日には例大祭がある。
祭神は大巳貴命(おおなむちのみこと・大国主命)。
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