上杉鷹山

上杉

上杉鷹山


上杉鷹山(治憲):米沢藩代10代藩主。

高鍋藩代6代藩主秋月種美の二男として生まれ、1760

(宝歴10)年に米沢藩主の養子となる。1766(明和6)

年に米沢に初入封。


上杉家は石高が15万石でありながら、かっての会津

120万石時代の家臣団6,000人をそのまま維持してい

たため極めて人件費が高く、また、名家の誇りを重ん

じて豪奢な生活を改めなかったため、債務が20万両に

まで膨らみ、藩財政に深刻な負担を与えていた。

そのような藩の窮状に、治憲(鷹山)の前藩主重定は、

藩土返上のうえ領民救済は公儀に委ねようと考えた。



新藩主に就任した治憲(鷹山)は、藩財政を再建するため、大倹の令を執行した。

灌漑用水開削や新田開発、紅花の栽培の奨励。

備蓄用の備籾倉(そなえもみくら)の設置、代用食となる植物の食べ方を「かてもの」や「養蚕手引」などの手引書

にして領民に配布し、啓発に務めた。

米沢織はこの当時に完成された。

引退後も後見として藩政に参加し財政再建を成功させ、米沢藩中興の祖とされる。

「為せば成る為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」の名言は有名。

1822(文政5)年、72歳で没。



上杉鷹山は江戸時代屈指の名君として知られている。

2007(平成19)年に讀賣新聞が日本の自治体首長に対して行ったアンケートで理想のリーダーとして上杉鷹山が

1位に挙げられた。


鷹山の施政の多くは、米沢藩の礎を築いた直江兼続の事業を模範にしたものといわれるが、現在の米沢市民に

も尊敬されていて、他の歴代藩主は敬称なしで呼ばれることがあっても、上杉鷹山だけは「鷹山公」と「公」という

敬称を付けて呼ばれることが多い。

関連ページ(地域) :  高鍋湿原 
高鍋城址地図:宮崎県児湯郡高鍋町


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