山法師躍り|やんぼしおどり



宮崎(県)には臼太鼓踊りと言われるものが各地に伝承されている。

椎葉村や五ヶ瀬町鞍岡の臼太鼓踊りは源頼朝の命を受けた那須大八郎宗久が平家追討のために椎葉に踏込んだ時、すでに戦意の失せていた平家の残党を見て、その慰安のために踊らせたものが原型と言われている。

五ヶ瀬町鞍岡や椎葉村不土野、小崎においてはその臼太鼓踊りの中で一つの演目として行われてきたのが山法師踊りである。

山法師踊りは源義経が陸奥に向かう途中の安宅の関での弁慶と富樫との場面を表していると言われ、薙刀や刀を持った 20数人が紅白の二手に分かれ、刀や薙刀を振り回しながら躍り、そして弁慶と富樫らしき二人が相対して問答を行う。

山法師踊りが残っているのは平家落人伝説で有名な九州の秘境椎葉の不土野と同小崎、それに五ヶ瀬町鞍岡の三ヶ所に限られている。



平安時代末期、権勢を誇った平氏とそれに抵抗する源氏の戦いにおいて、最後の舞台となった檀浦で破れた平氏軍の一部は、熊本の阿蘇神社からさらに五ヶ瀬町鞍岡へと落ちのびた。

なおも追撃してくる源氏軍への危険を感じてさらに山深く椎葉に向けて敗走した。



追討軍を率いた那須大八郎宗久は椎葉に入るについて朝霧越はあまりに険しい山であると判断して現在の鞍岡の地に馬の鞍を置いて出発した。

その後その地は「鞍置き」と呼ばれるようになり、やがて「鞍岡」と訛って変化したと言われている。


問  とうざい
答  えいさあ
問  そうれに見えし山法師は何山法師にて候
答  たあだ山法師にて候
問  まこと本山の山法師ならば御身に体(たい)のいわれを御開かれ候
答  体は父の体内より血を丸め、母の体内に九月の宿を借り阿吽という二字をうけ、生まれ出でたるがまこと本山の山法師にて候

  
山法師躍り|宮崎県東臼杵郡椎葉村

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