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豫章館 |
豫章館 |
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豫章館 |
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1869年(明治2)年に版籍奉還が行われ、土地と人民は明治政府が所轄し、大名は知藩事として引き続き藩(旧 大名の領地)の統治に当たるようになった。 豫章館は御三家の伊東正木の邸宅であったところで、同年、知藩事となった伊東祐帰(すけより)が飫肥城から 移り住んだ。 豫章館は大手門を出るとすぐ右の飫肥城の玄関先の屋敷という位置にあり、飫肥の武家屋敷の典型的な様式の 建物で、中でも最も格式のあるものとなっている。 屋敷地には主屋、御数奇屋、雑舎、蔵を配し、入口には薬医門を備えている。 南面一帯は武学流の作庭といわれる庭園で、広い空間に庭石や石灯篭、庭木などが巧みに配置され、閑静な佇 まいの枯山水式庭園である。 豫章館の名前については、庭の北側にあった樹齢数百年という楠(予章木)に因んだもので、祐帰の父祐相が名 付けたものという。 防虫剤の「樟脳」は楠の油から得たところからその名が付いたが、楠の文字は元々は樟と書いた。 1871(明治4)年、明治政府は知藩事を皇居に集めて廃藩置県を命じた。 藩は県となって知藩事(旧藩主)は失職し、東京への移住が命じられた。 各県には知藩事に代わって新たに中央政府から県令が派遣された。 関連ページ(地域):飫 肥 小村寿太郎 堀川運河 花立公園 飫肥街道 吾平津姫
豫章館付近地図:宮崎県日南市飫肥 |
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