榎原神社




榎原神社 

榎原神社は神女として崇められていた内田万寿(ます)女の進言によって、飫肥藩第3代藩主伊東祐久(1609~1657年)が鵜戸神宮の御神霊を勧請して地福寺の境内に建立したと伝えられる。

榎原神社は祐久の没後の万治1658(万治元)年に完成したとされてきたが、1656(明暦2)年に再興されたという説もある。

現在の社殿は1707(宝永4)年に建てられ、当初は八幡造りであったものが、1798(寛政10)年、当時流行していた権現造り改造されたものと思われる。

拝殿を入母屋屋根(いりもややね)とし、正面に千鳥破風、その前面の向拝(こうはい)に唐破風(からはふ)を設けた。

拝殿、相の間(あいのま)、神殿とつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は権現造りである。

しかし、従来から関係者は屋根の複雑さから「八ツ棟造り」と呼びならわしている。

本殿の他、榎原神社鐘楼榎原神社楼門などは宮崎県指定文化財となっている。

別当寺であった貴雲地福寺は明治の廃仏毀釈により、廃寺になった。



摂社に万寿女(内田万寿)を祀る桜井神社がある。

地福寺の住職、精能をして「神女」と言わしめた万寿女は、種々の奇跡を示し、ついに「榎原の神女・寿法院」とまで呼ばれ、彼女のもとには多数の信奉者が訪れた。

藩主の祐久もその一人で、寿法院(万寿女)を信じて榎原の地福寺にある説教所を訪れ、神意を伺ったと言われる。

1656(明暦2)年、寿法院は神の御告げとして祐久に「鵜戸神宮の神霊を迎えて榎原の地に祀るべし」と告げたので、藩主によって社殿が造営されたとされる。


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榎原神社|宮崎県宮崎県日南市南郷町大字榎原甲

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